第1章 Windows 8への道 - Windows 1.0からWindows 8まで その4

Windows 9x系と共に存在し、ビジネス系顧客のリクエストに応えたのがWindows NTである。1993年(日本語版は翌年の1994年)に発売したWindows NT 3.1は、当時コンシューマー向けOSとして発売中のWindows 3.1と同じルック&フィールを用いながら、内部的なOS設計はまったく異なるものだった。Windows NTの歴史は、Bill Gates(ビル・ゲイツ)氏が、DEC(Digital Equipment Corporation:ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)を退社し、起業したものの商業的成功に至らなかったDavid Neil Cutler(デヴィッド・カトラー)氏を引き抜いたことから始まる。

Cutler氏はMicrosoftでも新OSの開発リーダーとして、32ビットベースのプリエンプティブ・マルチタスク(ハードウェアタイマ割り込みなどを用いてOSに制御を移すマルチタスク技術の一種)OSを目指し、一から開発を始めたため、Windows NTという存在が世に出るまで五年の月を要した。場あたり的な対応で積み上げてきたWindows 9x系と異なり、カーネル領域とアプリケーション領域を分離して管理するといったアイディアをOSに盛り込めたのは同氏の持つ多大な能力が生み出した成果と言えるだろう。

当初からHAL(Hardware Abstraction Layer:ハードウェアを抽象化するレイヤー)を実装することで移植性を高めていたため、PC/AT互換機版だけでなくPC-9801シリーズ版やDECのAlpha版、MIPS版などさまざまなコンピューターに移植されている。ファーストバージョンであるWindows NT 3.1を手始めに、翌年にはWindows NT 3.5をリリース。1995年にはルック&フィールをWindows 95風に改めたWindows NT 3.51を、1996年にはWindows NT 4.0をリリースした(図012~013)。

図012 Windows NT 3.51。Windows 3.1風のルック&フィールを備えている

図013 Windows NT 4.0。Windows 95風に変更されつつも安定性は段違いだった

外見こそWindows 3.1や95に似ていたが、前述したOS設計が異なるため、安定性は段違い。好事家の中には各バージョンに用意されていたエディションの一つ、WorkstationをクライアントOSとして使っていた方も少なくなかった。Cutler氏のコンピューター思想も相まって、Windows NT系は非常に保守的な設計だったが、それが変化し始めたのが、Windows NT 4.0のあたりから。グラフィック関連のデバイスドライバーを、カーネルと同等である特権レベル0で実行することで、描画パフォーマンスを改善している。

この改良により、Windows 9x系と同じくビデオドライバーなどを起因とするハングアップが発生するようになり、当初Cutler氏を筆頭にした開発チームが掲げていた設計思想が尽き、堅牢性の低下につながってしまう。そもそもビジネス向けOSだったWindows NT系は、パフォーマンスよりも安定性を優先する設計だったが、前述した"二つのWindows OS"を統合したいMicrosoftの意向や、エンドユーザーとして快適さを求める顧客の意見も相まって、これまでの方針を覆したのだろう。

もう一つの理由として色濃いのが、Cairoの失敗だ。同プロジェクトは点在するすべてのデータをオブジェクトとして取り扱う、先鋭的なOSを目指していた。そもそもオブジェクト指向という概念は1980年代から明確になっていたため、実装自体は難しくなったはずだ。しかし、あらためて述べるまでもなく、理論を実践に落とし込むことは難しい。Chicago(後のWindows 95)の開発を急がされていたことも踏まえ、計画は頓挫してしまった。当時のMicrosoftが抱えていたさまざまな問題や、企業として求められていた開発スピードの向上などが相まって、Windows NT 4.0という企業向けと言い難いOSが生まれたのだろう。