注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、月替わりの企画が放送される日本テレビ系バラエティ番組『timeleszファミリア』(毎週月曜24:29~)で、11月の「タイムレスハウス」を担当する廣瀬隆太郎氏だ。
分かりやすさを追求して発展してきたテレビにおいて、ドラマや映画で使うシネマカメラによる撮影で映像の質感を上げたり、いわゆる「スタッフ笑い」を入れずに編集したりするなど、「ダサい」から脱却したバラエティに挑戦し続けている同氏。紆余曲折の経歴を振り返りながら、「タイムレスハウス」をはじめとする番組制作においてのこだわり、そこに至るターニングポイントになった亀梨和也、さらば青春の光・森田哲矢との出会いなど、たっぷりと語ってくれた――。
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廣瀬隆太郎
1990年生まれ。和歌山県出身。早稲田大学卒業後、16年に日本テレビ放送網入社。『スッキリ』『ザ!鉄腕!DASH!!』『有吉の壁』などを経て、現在は『ニノさん』のディレクターを務め、11月3日から『timeleszファミリア』の「タイムレスハウス」を企画・演出。これまで企画・演出した番組は、『カネ梨和也』『闇プロモーター粗品』『さらば森田・見取り図盛山のハイツ東五反田201』『100顔』『スギるヤツ』『エース・周杜の“ちゃんとやれるかな?”』など17本に及ぶ。
前田敦子に魅了され…AKB48の本気追っかけを4年間
――今回でこの連載がちょうど100回目になりまして、記念すべき回に登場いただきありがとうございます。
学生の頃から読んでいた連載なので、めちゃくちゃうれしいです。第1回はフジテレビ(当時)のマイアミ啓太さんですよね。マイアミさんの『人生のパイセンTV』って、ちょうど入社する直前に始まって、自分の演出のカラーをすごく出していていい意味で変な番組やってるなと思って見ていました(笑)。僕が行ってたジムにマイアミさんがいたので思わず声をかけたら、それからお話ししていただけるようになりました。
それから自分もADになって、ディレクターになりましたが、見ている番組の演出の方がどんどん出てくるので、すごく勉強になっています。
――そう言っていただけると、こちらも冥利に尽きます。さて、前回登場したABEMAの古賀吉彦第二制作局長が、廣瀬さんについて「日本テレビの単発枠で最も企画を通しいてるんじゃないかと勝手に思っています。常に笑いを作ろう、引っかかる企画を作ろうというのをものすごく尖ってやっている印象を持っています」とおっしゃっていました。出会いはどこだったのですか?
当時ABEMAにいた2代目バチェラーの小柳津林太郎さんに呼んでいただいた飲み会で知り合いました。そこから頻繁に飲みに行かせてもらう仲になったんです。
――廣瀬さんはものすごい数の単発企画を通していますよね。どれくらいのペースで企画を出しているのですか?
日本テレビは企画募集が2カ月に1回あるので、毎回なにかしら出すようにはしています。入社当初は毎月募集していたのですが、入社1年目の終わりくらいから5年目くらいまでは募集があるたびに10本弱くらい出していて、それ以降もコンスタントに出すようにはしています。局内では、企画を通している割にどれもレギュラーになっていないと言われますが(笑)
――『クイズタイムリープ』の生山太智さんも、1年目に100本くらい出したと言ってました。
2人とも大学の体育会出身なので、同じタイプかもしれないです。彼は明治で野球をやっていて、僕は早稲田のアメフト部なのですが、体育会出身は企画書出しガチなのかもしれません(笑)
――ではその前から振り返ってもらって、どのような経緯でテレビマンを目指したのですか?
和歌山の山奥で育ったのですが、小学校からまともに学校に通っていなかったんです。授業に出ず、外で秘密基地を作ったり、アニメに影響受けて木とか竹とか石材を集めてミニ四駆のコースを作ったり、小さい頃から何かしら作るのが好きだったのもあるかもしれません。
――そうした生活を親御さんは容認してくれたのですか?
父子家庭なのですが、父親が警察官で、めちゃくちゃ怒られてました(笑)。毎回学校から指導を受けて。でも全く懲りずに、そんな父と一緒に見ていた『プロジェクトX』(NHK)の黒部ダムの回に影響を受けちゃって、小学校の中庭をシャベルでひたすら掘って、水をひいてダムを作ったりしてました。担任の先生に「地形が変わる!」って怒られて(笑)
その一方で、サブカルもどんどん好きになって。中学生になった頃、弟が『8 Mile』という映画がきっかけでアメリカのヒップホップカルチャーにハマったのが影響で僕もそっちの文化に陶酔して、ある日、藤原ヒロシさんとか、高橋盾さんとか、NIGOさんとか裏原系のカルチャーにどハマりしてました。
あとは、ずっとテレビを見ていました。地元は本当に何もないところで、友達と遊ぶとか、ゲームも好きじゃなかったので、学校が終わったらすぐに家に帰って、月9の再放送を見て、安藤優子さんと木村太郎さんの『スーパーニュース』を見て、『ヘキサゴン』『はねるのトびら』『ココリコミラクルタイプ』とか、寝るまでずっとテレビ見続ける生活を繰り返していたんです。そんな日々を送っているうちに頭の片隅で将来、テレビ番組の作り手になるのもいいなと思い始めていました。
――ずっとフジテレビをつけっぱなしですね(笑)
はい(笑)。で、その後にAKB48の追っかけを17歳から21歳までやってたんです。大学に行きながらとかじゃなくて、本職として。それまで芸能人のファンになることもなかったんですけど。
―― 一体何があったのですか!?
『太陽と海の教室』(フジテレビ)という織田裕二さんのドラマに、前田敦子さんが出ていて、どこか彼女がまとっている雰囲気に惹かれて、気になって調べたら、AKB48というアイドルグループのメンバーだということが分かったんです。「会いに行けるアイドル」というコンセプトだと書いていて、翌日に福岡で握手会があったので、すぐ和歌山から夜行バスに乗って握手会に行って、そこからドハマリして、4年間ほどずっと追っかけをやっていました。だから大学の入学も遅いんです。
――追っかけを卒業するきっかけは何だったのですか?
20歳のとき、前田敦子さんの誕生日の日に代々木体育館でライブがあって意気込んでいたんですけど、その前日に父親に呼び出されて、「ずっと黙っていたけど、いつまでフラフラしてんだ。これ以上フラフラするんだったら、これを受けろ」って、警察官の願書を出されたんです。どうしても東京に行きたかったので、とっさに口から出たのが、「実はアイドルの追っかけを辞めて、これからは早稲田大学を目指すことにするから少し待っててほしい」って言っちゃいました(笑)
――早稲田まで限定しちゃったんですね(笑)
頭の片隅に「フジテレビで番組を作りたい」というのがあって、片岡飛鳥さん(『めちゃ×2イケてるッ!』総監督)とかフジの有名な人は早稲田が多いイメージだったのと、タモリさん(早稲田大学中退)が好きなので(笑)。それで本当に追っかけを辞めて、21歳で早稲田に入りました。
――アメフト部とおっしゃってましたよね。
僕、高校まで一切部活をやってなくて、人生で一度はスポーツに打ち込んでみたいなと思って。中途半端にやるのも嫌だから、体育会に入って日本一を目指すことにしたんです。でも、めちゃくちゃしんどくて、何回か脱走しました(笑)。授業もなかなか行けなくて、それで5年通ってるんですよ。
ただ運がよかったのは、OBの人にテレビ業界で活躍しているクリエイターが何人かいたんです。元フジテレビの藪木健太郎さん(『爆笑レッドカーペット』『ENGEIグランドスラム』など)とか、『半沢直樹』とかを撮ったTBSの田中健太さんとか、OB訪問で知り合うことができて、目標とする世界に近づいたなと思いましたね。
――何がつながるか分からないですね。その後、前田敦子さんと仕事でお会いしたことはあるのですか?
いろんな人が、僕が追っかけをやっていたのを知ってるので、「ゲストで来るよ」と教えてくれるんですけど、「ゴールデンで自分が総合演出する番組に呼ぶまでは会いません」って断ってるんです。
――(笑)。で、大学卒業で次の進路になりますよね。
僕の中で選択肢が3つあって、1つは片岡飛鳥さんのようなフジテレビのクリエイターになりたい。もう1つは、広告も好きだったので、電通に入ってクリエイティブ・ディレクターになりたい。そして文化服飾学院でファッションを学びたいというのもあったのですが、父子家庭でさすがにこれ以上迷惑をかけられないと思って、就活して内定をもらったのが、日本テレビでした。
――憧れのフジテレビではなく。
そうなんです。最終面接まで行ったのですが、ご縁がなく、日本テレビに入社することになりました。
不良社員を一変させた一喝「ありえないだろ!」
――日テレに入社されて、制作に配属されたんですね。
最初は朝の情報番組の『スッキリ』で3年間ADをやりました。当時の業務体系はめちゃくちゃ大変で、木曜日担当だったら、前日の水曜の朝7時からぶっ続けで木曜にOAまでやって、ADはバラシ(片付け)とかもあるので終わるのが15時とか16時になるんです。それがしんどいのもありましたし、フジテレビに入れなかったので最初はずっと腐ってて、本当に不良社員でした(笑)
――1年目の終わりから企画を出すようになったと言っていましたが、それは自分で現状を変えたいと思ったのでしょうか。
これはたまたまなんですが、スタッフルームの端っこで水曜の夜10時になったら『水曜日のダウンタウン』(TBS)を見てサボっていたんです。それを放送作家の西村隆志さんが見て「何してんだ? バラエティが好きなら企画書どれくらい出してるんだ?」と言われて、「出してないです」と答えたら、「局員でチャンスがあるのに、企画書出してないなんてありえないだろ!」と一喝されまして。「明日のOA後、駅前の喫茶店で打ち合わせするぞ」と言われて、同世代の作家さんを呼んでくださって、企画会議をしてくれたんです。そこで出した企画が早速通ったんですよ。
――手を差し伸べてくれる人がいるんですね! どんな番組が通ったのですか?
『文無しアカデミー』という番組で、高校の同級生がiPS細胞の研究所にいたのですが、いろいろ事情を聞いてると、最先端の発明をしている人たちがすごく低賃金だと知ったんです。本当にロマンのためだけにやっていたので、そういう研究者や発明家たちにスポットライトを当てて、当時流行っていた投げ銭システムを使ってショーアップした番組です。SHOWROOMの前田裕二さんとか、幻冬舎の箕輪厚介さんにも出てもらって。
――2017年の放送で、おふたりともまだコメンテーターなどでよくテレビに出る前ですよね。それで自分の立ち上げた企画が番組になることの面白さを覚えて、どんどん企画書を出すようになったということでしょうか。
そうですね。『文無しアカデミー』で一変しました。その次は『デジタルにらめっこWARAE』というスマホの写真で相手を笑わせるという番組で、当時まだそんなにテレビに出ていなかった金属バットの友保隼平さんとか、Aマッソの加納さんとか、大好きな芸人さんたちに出てもらいました。日テレってロケもののドキュメントバラエティが多いイメージがあると思うのですが、スタジオショーアップものが好きで、そういう番組ばかり出してましたね。
――やっぱりフジテレビに影響されてますね(笑)
そうなんですよ(笑)。日テレってスタジオセットが明るい番組が多いのですが、『デジタルにらめっこWARAE』は仲のいいデザイナーやミュージシャンを集めて、セットのデザインはプライベートで仲良い『水曜日のダウンタウン』のオープニングとかも作っている榛葉大介さんにお願いして、2人が共通で仲がいいラッパーにジングルを作ってもらったり、観覧客にも自分たちの知り合いのバンドマンとかファッション関係の人たちを集めたりしました。
――その後もコンスタントに企画を通して単発番組を作っていく一方で、当然レギュラー番組も担当されているわけですよね。
企画がいろいろ通ってきたので、『スッキリ』からバラエティに異動することになって、4年目で『ザ!鉄腕!DASH!!』に行ったんです。そこで、当時、総合演出の清水星人さんにはすごく影響を受けました。清水さんはかなり特殊な演出家で、僕は勝手に「テレビ業界の村上龍」と呼んでいるのですが(笑)、ナレーションのかけかたや画作りにしても、幻想的で独自のルールを持っていて世界観を作り上げるのがうまいなと。何回も怒られたので怖いんですけど(笑)、清水さんのどの番組を見ても「これぞ清水星人ワールド」と一目瞭然で分かるあのパッケージの仕方はすごく参考にさせていただいています。
――清水さんといえば、PR制作会社や農業資材メーカーを経てテレビ業界に入ってきた異色の経歴ですよね。
そういう経歴も、特殊な番組作りにつながってるのかなと思います。ほかにも、初めて企画・演出した『文無しアカデミー』では『THE パニックGP』や『爆買いスター恩返し』をやっていたIVSテレビの千頭浩隆さん、『デジタルにらめっこWARAE』では『アイ・アム・冒険少年』をやっていたkimikaの白井秀知さん、『闇プロモーター粗品』では『笑神様は突然に…』をやってるBakaBestの森伸太郎さんと、局の先輩より制作会社の皆さんに学ばせていただく機会が多いのもあって、僕の番組は日テレっぽくないところがあるのかなと思いますね。
――橋本和明さんのもとで『有吉の壁』も担当されていましたよね。
橋本さんは、とにかく“当て勘”がすごいんです。毎回編集チェックの時に「今回はこれくらいだろうな」って言うと、本当に視聴率が出るんですよ。『有吉ゼミ』で財前直見さんや工藤阿須加さんという、バラエティではなかなかないキャスティングでヒットさせていくので、その当て勘を勉強して自分も取り入れたいなと思うのですが、独特のものなので難しいんです。地上波の視聴率はもちろん、ABEMAの『愛のハイエナ』でもかなりの再生回数を獲得しているのでもう怖いです。
そして、数字もとれるのに、自分の好きなコントや舞台などもやっていて理想の働き方をされているなと思います。最近では、Netflixで『ファイナルドラフト』という元アスリートたちが主役のサバイバル番組を演出されていましたが、ゲームの面白さはもちろんなんですけどドキュメントとしての完成度が高くて、本当になんでもできるんだなと感動させられました。