「人生100年時代」と言われる今、20代からの資産形成は待ったなし。とはいえ「投資の目利き力、どうやって磨く?」と悩む人も多いはず。本連載では、20代から仮想通貨や海外不動産に挑戦し、いまはバリ島でデベロッパー事業、日本では経営戦略アドバイザーも務める中島宏明氏が、投資・資産運用の知識や体験談、そして業界の注目トピックを紹介します。

今回のテーマは、「人生の含み益」です。

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余暇の過ごし方を聞かれて

以前、ある音楽家のインタビューを読んでいて、印象的なやり取りがありました。「休日は何をしているんですか?」と聞かれた彼は、「お酒を飲みながら楽器を弾いたり、曲を作ったり」と答えていました。

また、ポルトガルの詩人フェルナンド・ぺソアは、ある散文詩の中で「なにもすることがなく、どこも行くところがなく、つきあう友だちもなく、読書にも興味がないので、私は夕べのひとときを、下宿の部屋で書きものをして過ごしているのです」という一節を書き残しています。

私は、これらの言葉に共感を覚えました。仕事だから書くのではない。趣味だから書くのでもない。ただ、音楽や散文詩が人生の中に自然に流れ込んでいる感覚です。

私も、良くも悪くも休日だからといって完全にオフになるわけではありません。コーヒーを飲みながら原稿を書いたり、投資や社会のことを考えたり、だれかと話したりしています。すると、それが後から仕事につながったり、書籍企画になったり、新しいコミュニティ構想になったりします。

「これは仕事なのか?」「趣味なのか?」「研究なのか?」、自分でもその瞬間はよくわかりません。ただ、その曖昧さが今の時代の働き方なのかもしれないとも感じています。

「仕事」と「趣味」が分離しなくなった

会社員であれば、「仕事」と「プライベート」は比較的明確に分かれているでしょう。平日は仕事。休日は休み。しかし、独立後に顧問業や文筆業を続ける中で、その境界はどんどん曖昧になっていきました。遡ってみれば、8歳頃から12歳頃まで歌舞伎や演劇の舞台、映画や広告、テレビの仕事もしていたので、すでに境界はなかったのかもしれません。

人と会うことが学びになり、その学びが記事になり、その記事が新しい世界や仕事につながる。投資について調べていたはずが、気づけば社会構造や人口動態、国家戦略の話になっている。地域のことを考えていたら、教育やコミュニティの話になる。

そんな感じで、人生全体が一つのテーマでつながり始めるのです。もちろん、これは「24時間働いている」という意味ではありません。むしろ逆で、「関心事の先やルーツを考え続けていたら、気づけばそれが仕事にもなっていた」という感覚に近いです。

最近は、AIと一緒に働くことについて考えることも増えました。AIは、単純な情報整理や要約をどんどん代替していくでしょう。一方で、人に残る価値はなにかと言えば、「文脈を編集する力」や「異分野を接続する力」、そして「人との信頼関係」ではないかと思っています。だからこそ、今後は「仕事」と「趣味」の境界が曖昧な人ほど、実は強くなるのではないか。そんなことを感じています。

消費や投資に派手さを求めない

投資の世界では、よく「いくら稼ぎたいですか?」「資産をいくらにしたいですか?」という話が出ます。収入や資産の多寡に興味はないですが、もちろんお金は大切です。資産形成も好きですし、ビットコインの強気な未来価格予測を見るのも楽しいです。

例えば、「2050年に1BTC=5340万ドルになる」という超強気な予測を見ると、多くの人はついつい計算してしまうでしょう。もし本当にそうなったら、仮に運用利回りが年8%、税率が20%だとすると、毎月どの程度のキャッシュフローになるのか。元本を減らさずに生活した場合、どれくらいの自由度があるのか。そんなシミュレーションをしている時間は、かなり楽しいものです。

しかし一方で、私の場合は派手な消費や投資には興味がありません。高級車にも、プライベートジェットにも惹かれません。もちろん、資産性があるという話は理解できます。ですが、「いずれ所有したいか?」と言われると、答えは明白です。

それよりも、考える時間や原稿を書く時間、だれかと話す時間、静かに過ごす時間の方が、私にとっては価値があります。

私がほしいのは贅沢ではなく、そういった時間や過ごし方なのだと思います。それも、「なにもしない自由」ではありません。「やりたいことをやれる自由」や「やりたくないことをやらない自由」に近いものです。

「FIRE」ではなく「文化的独立」

コロナの頃、「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」という言葉が流行しました。もちろん、生活費のために無理な仕事を続けなくて済む状態を目指す考え方自体は、とても合理的だと思います。ただ、私自身は「早く仕事を辞めたい」と思ったことはありません。

投資をしていると、「いくらになったらゴールですか?」という話になりがちです。ですが、「資産額そのもの」よりも「どれくらい自由に時間を使えるか」の方が重要なのではないかと感じています。

例えば、「嫌な案件を無理に受けなくていい」「短期的なお金のためだけに動かなくていい」「興味のある仕事やテーマに時間を使える」こうした自由の方が、価値が大きいのではないでしょうか。投資は、働かなくなるためではなく、自分らしく働き続けるための土台なのかもしれません。

人生には“含み益”がある

私は以前、「体験に投資していれば、自分次第で後からいくらでも取り戻せる」という内容のコラムを書いたことがありました。今でも、同じ感覚を持っています。

投資の世界には「含み益」という言葉があります。まだ売却していないが、将来的に利益になる可能性を持った資産のことです。私は人生にも、含み益があると思っています。

例えば、若い頃に会った人。遠回りに見えた経験。うまくいかなかった挑戦。何気なく続けていた読書や執筆。それらは、当時すぐに仕事になるわけではありません。

しかし数年後、十数年後に、つながり、仕事、信頼、知識、世界観として、一気に結びつくことがあります。実際、私自身の仕事もそうです。

過去の取材経験が、新しい企画につながる。以前出会った人が、後から重要な仕事相手になる。投資経験が、コラムや顧問業に活きる。一見バラバラだった点が、後から線や面、立体になるのです。

だから私は、「回収を急ぎすぎない人生」は大切だと思います。今は意味がないように見える体験も、後から複利で効いてくることがあるからです。

人生そのものを“複利運用”する

このような話をしていると、「人生全体をエンダウメント運用している感覚ですね」と言われたことがあります。エンダウメントとは、大学や財団などが持つ長期運用基金のことです。

元本をできるだけ減らさず、その運用益で活動を続けていく。私は、この考え方が好きです。しかも、それは金融資産だけではありません。知識、つながり、体験、信用、世界観もまた、人生における元本なのだと思っています。そして、それらを長期で複利運用していく感覚です。

人生にお金は必要ですが、お金そのものよりも「そのお金でどんな人生を可能にするか」の方が、はるかに重要なのではないでしょうか。

結局、私が理想としているのはステレオタイプな派手な成功ではないのだと思います。冒頭の散文詩にあるような、レストランで静かに原稿を書く。そんな小さな時間を、長く続けられる人生。それが、私にとっての豊かさなのかもしれません。自分にとっての豊かさを言葉にしておくと、その方向に向かっていきます。未来は選んだ方に向かっていくものですね。