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今回は前回に引き続き、1582(天正10)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、備中から秀吉が戻るまでの間に京に残った家臣を指揮し、時間を稼ぐ小一郎が挙げられる。明智軍の兵が京を見張る中、小一郎たちはなじみの遊女屋に身を隠す。浅野長吉(大地伸永)は、織田信長はまだ見つかっていない織田信忠(小関裕太)と共に身を隠しているのでは、と主張したが、炎に包まれる本能寺から落ち延びた森乱と出会った小一郎は一蹴した。

小一郎の腕の中で「上様をお守りすることかないませんでした」と言い遺し果てた乱。乱は明智軍の具足と旗印を身に着けており、信長の首級を明智光秀に渡さぬために死力を尽くしたのだろう。信長を信奉する乱の最期の言葉に、小一郎は信長の死を確信していた。

SNSでは、長浜の家族を守り光秀に対抗しようとする小一郎に「小一郎の冷静さが頼もしいな。動揺しているはずなのに表に出さないのがすごい」「次々に指示を出せるのさすがだな。秀吉の影に隠れているけどやっぱり優秀だ」と称賛の声が集まった。

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秀吉、電光石火で中国から撤退する

次に、強引に毛利との和睦をまとめて中国大返しを行う秀吉の姿が挙げられる。前野長康(渋谷謙人)からもたらされた織田信長が明智光秀に討たれたという報せを秀吉は信じようとしなかった。秀吉にとって信長は誰よりも敬愛する主君であり、光秀は京都奉行として苦労を共にした同僚であり、金ヶ崎の退き口では命を救ってくれた恩人だ。蜂須賀正勝(高橋努)や黒田官兵衛(倉悠貴)の進言もまったく聞き入れない秀吉だったが、さすがに小一郎だけは兄の扱いを心得ていた。

秀吉はハッタリをきかせて安国寺恵瓊(立川談春)との和睦会談を強引にまとめ上げ、すぐさま京へ戻る算段を整えた。SNSでは「こんなに荒ぶっている秀吉、初めて見たな」「あの恵瓊を言いくるめるなんて、秀吉すごいな。さすがの人たらしだわ」と秀吉の言動に注目が集まった。

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中国大返しは、1582(天正10)年6月に羽柴秀吉が備中高松城攻めの最中、本能寺の変で織田信長が討たれたとの報を受け、中国地方から京都方面へ主力軍を急速に引き返した軍事行動。秀吉は毛利氏との講和を素早く成立させ、備中高松城から姫路城を経て山崎へ向かった。6月4日に毛利氏との講和を成立させ、6月6日頃に備中高松城を出発し、7日~8日頃には姫路城へ到着する。そして13日に山崎へ到着し明智軍と対峙(たいじ)した。

中国大返しは、日本史上屈指の強行軍として知られている。本能寺の変の知らせを受けた秀吉は、その事実を伏せ毛利側との講和をまとめた。毛利側も本能寺の変の情報を完全には把握しておらず、秀吉はその時間差を巧みに利用したといわれている。将兵には信長の死を伏せたまま進軍を続けたと伝えられており、これにより軍の動揺を抑えた。姫路城では蓄えていた金銀や兵糧を家臣に惜しみなく与え、兵士の士気を高めたとされている。

小一郎、細川藤孝(亀田佳明)と面会する

最後に、明智光秀の旧友である藤孝と面会する小一郎のシーンが挙げられる。

京に潜む小一郎は、光秀の信頼する藤孝をなじみの遊女屋へ呼び出した。小一郎にとって光秀は討たねばならない敵だが、同時に長年にわたって苦楽を共にした仲間でもあった。なんとか光秀を救いたいと道を模索する小一郎は、光秀と親交の深い藤孝に助言を求める。しかし藤孝はそんな小一郎の考えをうぬぼれと諫めた。

一時の感情に動かされ、凶行に走ったようにも見える光秀だが、秀吉をはじめとする織田家の重臣のほとんどが京を離れているタイミングで挙兵しており、十分に勝算があったからこその謀反であると藤孝は分析。小一郎の命も安全ではないと指摘された。そこへ秀吉が戻ったという報せが届くと、藤孝はあまりに早い秀吉の行軍に驚がくする。

SNSでは「昨日まで本当に仲良く一緒にがんばりましょう!ってやってたもんね。なかなか割り切れないよな」「藤孝さん、いい人だな。冷静に現実を指摘してくれた」と、本能寺の変に巻き込まれる2人の武将にコメントが寄せられた。

細川藤孝は戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、公家文化人、歌人。1534(天文3)年に生まれ、1610(慶長15)年に死去した。法号の幽斎で広く知られている。室町幕府最後の将軍である足利義昭を補佐し、その後は織田信長に仕えた。本能寺の変では明智光秀の誘いを断り、剃髪して隠居を表明する。その後は嫡男の細川忠興とともに豊臣秀吉、さらに徳川家康に仕えた。

武将としてだけでなく、和歌や古典文学の第一人者でもあり、古今和歌集の秘伝である古今伝授を後世へ伝えたことで、日本文化史にも大きな足跡を残した。蹴鞠や連歌、茶の湯にも優れており、また鉄砲や築城にも知識がある文武両道の人物だった。秀吉から文化面でも厚く信頼され、和歌の指導を行うこともあり、晩年まで学問への探究心を失わず、多くの門弟を育てた。また嫡男の忠興の妻は明智光秀の三女・細川ガラシャを妻に迎えている。

きょう26日に放送される第29話「天下への道」では、明智光秀を討つために集まった織田軍が、まとまりを欠き明智軍に苦戦を強いられる。小一郎は初陣の与一郎に織田信孝の護衛を命じるが、与一郎は信孝を守り負傷する。

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