テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、12日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第27話「本能寺の変」の視聴分析をまとめた。
「わしの首、決して敵の手に渡すでないぞ」
最も注目されたのは20時37分で、注目度80.8%。本能寺で織田信長(小栗旬)が自決を覚悟するシーンだ。
京の本能寺で床に就いていた織田信長は近づいてくる足音で目を覚ました。「申し上げます。寺が取り囲まれております」足音の主は森乱(市川團子)である。「どこの軍勢じゃ」冷静に状況を報告する乱に信長は尋ねた。「白の桔梗紋。明智光秀殿」乱の答えに「そうか」と、信長は一言だけつぶやいた。
怒声とともに光秀(要潤)の兵がなだれ込んでくる。信長は近習と共に激しく応戦した。「狙うは信長ただ1人! 必ず見つけだせ!」明智家重臣・斎藤利三(内藤剛志)が兵を鼓舞する。「その儀は無用」信長が火縄銃を放つ。「おのれ…討ち取れ! 放て!」利三の号令で信長めがけて一斉に矢が放たれる。かろうじて直撃は避けた信長だが、1本が右頬をかすめ、1本が左肩を射抜いた。それでも信長はひるまず、槍を手に取り明智の兵を次々になぎ倒していく。しかし、多勢に無勢。次第に押される信長は、乱にその場を任せ、裏手から脱出を試みた。
「放て!」利三の火矢に、たちまち本能寺は炎に包まれた。奥へ進む信長に次々と群がる明智の兵。左肩を負傷した信長は、右手だけで刀を振るい続けた。多くの兵を切り捨てた信長だが、着物は鮮血で染まり、息も次第に苦しくなる。おぼつかない足取りの信長の前に、なんと光秀が立ちはだかった。「お覚悟を」「お前じゃない」信長は光秀を斬り伏せるが、倒れた敵将は光秀ではなかった。
ふらつきながらも歩みを止めない信長。その眼前に、今度はかつて小谷城攻めで滅ぼした浅井長政(中島歩)が姿を現した。「早うこちらへ参られよ。相撲の決着をつけましょうぞ」長政はあの世から信長を黄泉路に誘う。信長は長政を切り伏せたが、その姿もまた幻だった。
信長が顔を上げると、炎の向こうにはこれまで命を奪ってきた無数の者たちが、うつろな目で信長を見つめている。そして次に織田信澄(緒形敦)が立ちはだかった。「もういいか。疲れたわ」信澄を見て信長がつぶやくと、「父の敵。死ねぇ!」と信澄は刀を振り上げる。
その瞬間、信長を守るために何者かが飛び出してきた。振り返ってほほ笑んだその姿は何と信澄の父・織田信勝(中沢元紀)だった。「信勝…」ぼうぜんとする信長。しかし、それは信勝であるはずもなかった。その正体は、血に汚れた乱だった。「上様、お気を確かに」信澄を斬り捨て、乱は信長を支える。信長は笑みを浮かべ、「脇差を貸せ」と静かに命じた。
乱はその一言ですべてを察した。「頼む」重ねて命じられた乱は、震える手で脇差を差し出した。「よいか。わしの首、決して敵の手に渡すでないぞ」「お任せくださりませ」信長はそう告げると、乱に背を向け静かに座り込んだ。乱は大きく頭を下げ敵の元に駆け出していく。信長は着物をはだけ脇差を抜くと、またも信勝の幻影が現れた。「兄上。我らの一生、ろくなものではござりませんでしたな」「はっはは」信長は小さく笑った。その脳裏には、小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)の仲睦まじい兄弟の姿が浮かんでいた。「是非もなし」燃え盛る業火は本能寺を包んだ。
繊細な信長像にコメント続出
このシーンは、織田信長の最期のシーンの演出に、視聴者の視線が“クギづけ”になったと考えられる。
小一郎と備中へ向かう約束をした信長は、本能寺を宿所とした。しかし、そこへ光秀の命を受けた利三が軍勢を率いて攻め込む。森乱と共に応戦する信長だったが、兵力の差は覆せず追いつめられる。傷ついていく信長の眼前には、これまで討った者たちが次々に幻影となって現れる。これまでの天下一統の道のりで信長の精神は疲弊しきっていたのだろう。しかし、切腹する直前に現れた信勝は恨み言を述べなかった。小一郎の「信勝様は上様を恨んでおりませぬ」という言葉は真実だったのだろうか。小一郎・秀吉兄弟に後を託し、信長はその壮絶な人生を終えた。
SNSでは「秀吉たちは決して知ることが無いだろうけど、最期に信長を笑わせたのは秀吉や秀長だったんだな」「無慈悲な覇王を装ってないと自分が殺してきた人たちに押しつぶされちゃうくらい繊細な男だったんだよな」「もう疲れたって台詞はこの作品の信長だからこそ出せる台詞だよね」と、今作による繊細な信長像にコメントが集まった。
本能寺の変は、旧暦1582(天正10)年6月2日、京都の本能寺で明智光秀が主君である織田信長を急襲した事件。信長を守る供回り約150に対して、光秀の軍勢は1万3,000と圧倒的な兵力差だったと伝わっている。信長は近習と供に応戦したが、奮戦虚しく自ら本能寺に火を放ち自害したと伝えられている。また、嫡男の織田信忠も二条御所で抗戦した末に自害した。この事件により、天下の趨勢が一変したことはご存知の通りだ。
本能寺の変は日本史上最大級の政変として知られている。しかし、明智光秀が謀反を起こした真の動機については決定的な史料が存在せず、怨恨説、野望説、朝廷関与説、黒幕説など数多くの説が提唱されていることも周知の通り。
本能寺の変で信長と共に討ち死にした森乱は、安土桃山時代の武将であり、織田信長の近習として仕えた人物。1565年(永禄8)年に森可成の三男として生まれた。史料では乱や乱法師と表記されることが多く、後世の軍記物で蘭丸という名が広まった。近頃の作品では乱が採用されることが多い。1582(天正10)年の本能寺の変で信長と運命を共にした。この時、2人の弟である森長隆(坊丸)と森長氏(力丸)も討死している。
乱は信長から強い信頼を受けたと伝わっており、若年ながら実務能力に優れた人物とされている。石山本願寺との和睦の際に母が熱心な一向宗信者だったこともあり、和睦の実現に向けた使者として活動したと伝えられている。また、美濃兼山5万石を与えられたものの、信長の近習として京都に留まり続けたと伝わっている。


