最終話「蔦重栄華乃夢噺」では前回に引き続き、1794(寛政6)年から1797(寛政9)年の様子が描かれた。

傀儡好きの大名・一橋治済(生田斗真)への仇討ちを果たし、プロジェクト写楽は解散を迎える。その後も蔦重の出版への情熱は衰えることなく、伊勢・松坂に住む国学者・本居宣長(北村一輝)を訪ね、本を売り広める契約を取り付けた。旅の帰路でも新たな本のヒントをつかみ、順風満帆に見えたが、その身体は脚気に侵されていた。病を押して出版に励む蔦重でしたが、夢の中に九郎助稲荷が現れ、最期の時を告げられる。

1位以外の見どころとしては、雷に打たれる一橋治済が挙げられる。言葉巧みに閉じ込められた駕籠から脱出し、復讐を誓う治済だったが、落雷に打たれあっけなく命を落とした。かつて十代将軍・徳川家治(眞島秀和)が今際の際に治済に向かって「天は見ておるぞ。天の名を騙る傲りを許さぬ!」と言い放ったが、その言葉の通りに天罰が下りた。その側には平賀源内(安田顕)らしき人影も見えた。鳥山石燕(片岡鶴太郎)の遺作に描かれた雷獣となって罰を下したのだろうか。

史実での治済はこの後、1827(文政10)年まで生存して77歳の天寿をまっとうしたことから、史実に守られているとネットでは言われていただけに、最終話での思いがけない退場は大きな話題となった。

1話限りの登場・本居宣長役に北村一輝を起用

次に本居宣長の登場シーンが挙げられる。江戸から遠く離れた伊勢・松坂にも蔦重と耕書堂の噂は届いていたが、あまり良い内容ではなかったようで、宣長は露骨に警戒心を示す。しかし、蔦重はそれを見越して松平定信(井上祐貴)の手紙を用意していた。相変わらず築いたコネをうまく使っている。思惑通り宣長の著書を耕書堂で取り扱う許可を得た。

教科書でもおなじみの本居宣長は、医師としても活躍した国学者。賀茂真淵、荷田春満、平田篤胤とともに「国学の四大人」に数えられている。長年にわたり『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』を完成させた。熱心な鈴のコレクターでもあり、書斎を鈴屋と名付けるほどだった。『源氏物語』の研究を通して「もののあはれ」という日本独自の美意識を提唱した。自然や人間の感情に触れて心が揺さぶられる感性を表している。

宣長は1763(宝暦13)年に伊勢神宮参宮のために松坂を訪れた賀茂真淵と出会い、意気投合すると『古事記』について指導を受けた。この出会いは「松坂の一夜」と呼ばれている。対面したのは1日限りだったが、その後も文通による指導を受けた。ちなみに真淵は第41話「歌麿筆美人大首絵」で蔦重に協力した加藤千蔭(中山秀征)の師匠でもある。宣長の日記『雅事要案』には、蔦重が千蔭の紹介で訪ねて来たと記されている。

宣長を演じたのは北村一輝。最終話で1話限りの登場人物に、人気俳優を起用するのはさすが大河ドラマだ。北村は2003年に公開されたアメリカの映画『キル・ビル』に出演した際には、オーディション情報を知らないままクエンティン・タランティーノ監督が滞在していたホテルのロビーで待ち伏せしたという驚きのエピソードがある。

死期を悟った最後のプロデュース

また、蔦重と長谷川平蔵宣以(中村隼人)が瀬川(小芝風花)の暮らしをうかがうシーンも挙げられる。第14話「蔦重瀬川夫婦道中」で、瀬川が蔦重の前から姿を消したのが1779(安永8)年だから、約18年の月日が流れていた。平蔵の部下である磯八(山口祥行)と仙太(岩男海史)が、平蔵のために瀬川の行方を探し出したようだ。蔦重と平蔵、そして瀬川の関係は、最後まで美しいものだった。2人は瀬川に会うことはなかったが、無事に暮らしていることが分かっただけで安心したことだろう。

さらに平蔵は、岡場所に警動が入るという情報まで提供してくれた。吉原の危機に力を貸し、丈右衛門だった男(矢野聖人)に狙われた時に駆けつけるなど、平蔵は蔦重にとって源内同様、かけがえのない恩人だった。体調がすぐれない様に見えたが、史実では蔦重に先立って1795(寛政7)年に50歳で亡くなっている。

死期を悟って最後のプロデュースに取り組む蔦重の姿も印象的だった。曲亭馬琴(津田健次郎)、山東京伝(古河雄大)、大田南畝、勝川春朗(野性爆弾・くっきー!)に仕事を依頼する。病魔に冒されてもその指図は見事に的を射ていた。自身も朋誠堂喜三二の指導で生涯2冊目となる黄表紙の執筆に取り掛かる。こうして完成したのが『身体開帳略縁起』だ。画は北尾重政(橋本淳)が担当した。寺院の宝物公開である開帳を模した形式で、庶民の生活規範や社会風刺を描いている。しかし教訓ばかりで黄表紙としての面白さは今一つだったようだ。プロデュースの腕前は随一だったが、文才は最後までイマイチだった。

そして夢の中ではあるが、蔦重と九郎助稲荷の初対面シーンも挙げられる。ナレーションとして物語を解説し、時には女心のわからない蔦重を「ばーかばーか!」とののしってきた九郎助稲荷が、蔦重の夢枕に立った。これまで作中に登場したときはスマホを持った艶やかな花魁姿や町人、武士の姿だったが、今回は死を告げる役柄だからだろうか、巫女姿だった。平然と死を予告する姿にはさすがの蔦重もあっけにとられていた。

蔦重が寿命として予言された午の刻は、江戸時代には午前11時から午後1時頃を指し、正午を中心とする時間帯。午は十二支の中央に位置するため、陰陽道的にも特別な時刻として扱われた。

最後に仲間がやってくるまでの間、2人で語り合う蔦重とていのシーンが挙げられる。蔦重の臨終に備えて、ていはしっかりと準備を整えていた。さすがシゴデキ女子だ。2人が結婚したのは1783(天明3)年だから14年の結婚生活だった。最初は店のための仮面夫婦だったが、徐々に絆を深め理想的な夫婦となった。残念ながら子宝には恵まれなかったが、無事にみの吉という跡取りも決まる。2人がこれまでの思い出を語り合う姿は多くの視聴者の涙を誘った。