少年・少女の「不安」「葛藤」「痛み」を、鈴木福とあのW主演で描く、テレビ東京のドラマ『惡の華』(毎週木曜24:00~)の第8話が、28日に放送された。
そこで今回は、中学生編のおさらいと、夏祭り事件が意味するもの。そして高校生編に入る今話から晴れて、登場する中西アルノについて考える。
【第8話あらすじ】いよいよ高校生編がスタート
夏祭り当日、やぐらの上で、1本の包丁を2人で持ち、大衆に突き出し叫び始める仲村(あの)と春日(鈴木)。警察が駆けつけるも、恍惚な表情で群衆を見下ろし、全身に灯油をかぶり、「クソムシども!」と溜め込んだ思いを絶叫し続ける。
だが、ライターを持ち決意を固めた時、突如、仲村が春日をやぐらから突き落とす。「春日くん、バイバイ」──そうして自身に火をつけようとした仲村を、仲村の父(堀部圭亮)が取り押さえる。なすすべなく、泣き叫ぶ仲村だが…。
それから3年の月日が流れ、春日は高校生になっていた。祭り計画失敗と仲村を失ったショックで、旧友となじめない春日。そんなある日、春日は旧友たちからカラオケに誘われる。そこには学年のマドンナである常磐(中西アルノ)もいた。しかし、一向に盛り上がれない春日に、常磐は「暗いね、キミ」と言われてしまう。
その帰り道。春日は不良たちが道端で食べていたおでんを踏んでしまう。そのまま路地に連れて行かれてボコボコに殴られる春日。だが春日は言う。「楽しそうだなお前ら」。そしてこう続ける。「俺はな、あの時、死んだんだよ。何もかも失って。でも、こうやって生きてる。無様に息してるんだ。(中略)なあ、教えてくれよ。どうやったらそんな恥ずかしげもなく生きていけるんだ。なあ。クソムシども」と。
さらなる暴行を加えられ、ヨロヨロしながら家路につく春日。だが、その途中で本屋が目に入る。そして店内には、あのボードレールの詩集『惡の華』を読む少女の姿が。それは、なんと、マドンナ・常磐だった──。
「普通の世界」と「向こう側」とは?
まず前提として、詩人ボードレールは、泥と腐臭に満ちた都市の中に「美」と「悪」の混在を見た詩人である。その詩集『惡の華』は、都市の汚さ、悪徳、死体、娼婦、退廃、憂鬱――つまり、醜いものを、美しい詩という形式で書かれた本だと理解してもらっていい。
そこで冒頭の夏祭り事件だ。あれは、単なる中学生の「暴走」や「中二病的反抗」ではなかった。それは、春日と仲村が、自分たちの内面の地獄を町中にさらけ出そうとした儀式とは言えないだろうか。
中学生編を貫くテーマは一貫して、「普通の世界」と「向こう側」の対立だった。春日はボードレールの『惡の華』を愛読し、自分の中にある説明のつかない違和感や欲望を、「文学を理解する特別な自分」という物語で包み込もうとしていた。文学という"知"を免罪符に、自分の醜さから目を逸らし続けた男だ。
一方、仲村は最初から「この町も人間もクソムシ」と知っていた。彼女の眼には、社会のすべてが"人間性"という名の偽善の皮をかぶって映った。仲村にとっての「向こう側」とは、その皮を剥いだ先にある場所――社会規範の外側、剥き出しの欲望と醜さだけが息をする世界だ。仲村は理屈ではなく、感覚でそれを理解していた。そこで見つけたのが、春日という"本物"だった。
仲村に発見され、次々と醜さを暴かれていった春日は、やがて奇妙な解放感を覚えていく。ずっと文学の鎧の下に封じ込めていた怪物を、仲村が引きずり出すたびに、何かが軽くなっていったからだ。
これは単なる共依存とは違う。春日が仲村に感じたのは、もっと根源的な憧憬だった。自分でも直視できなかった内面の怪物を、恐れずに正面から見てくれた存在。自分でも持て余していた思春期の痛みを、初めて共有できた相手。仲村とはそういう人間だった。
