――『ジャッカー電撃隊』の後番組は、同じく吉川さんがプロデューサーを務め、上原さんが脚本を手がけた『透明ドリちゃん』(1978年)となり、石ノ森先生が原作を務める「スーパー戦隊」シリーズは2作で一旦終了となりました。八手三郎・原作となって「スーパー戦隊」が復活するのは1979年の『バトルフィーバーJ』からですが、ここに至るまでにはどんな出来事があったのでしょうか。

1978年に東映が、マーベルコミックスのキャラクターを3年間自由に使うことのできる契約を結んだことが大きいですね。契約を交わしたからには、何か作品を作らないとなりません。最初は『スパイダーマン』を1時間の大人向けアクションドラマとして作ろうか、という案もあって、高久進さんにお願いして脚本を進めていたりしましたが、結局30分の特撮ヒーロー作品で行こうと決まりました。

『スパイダーマン』原作者のスタン・リーさんも何度か日本に来て、一緒に会食しながらヒーローについて語り合ったこともあります。でも、スタン・リーもまさか日本で『スパイダーマン』を作る際、巨大ロボットを出すなんて夢にも思っていなかったでしょうね(笑)。

巨大ロボット・レオパルドンにスパイダーマンを乗せることが決まったんですが、さてどうやって乗せようかと考えまして、スパイダー星人ガリアがスパイダー星から地球にやってくる際、宇宙船が必要だろうと。それがマーベラーであり、変形して巨大ロボットになるといった一連の設定を作りました。

『スパイダーマン』はマーベルのキャラクターをそのまま使いましたが、『バトルフィーバーJ』ではアメコミ風のヒーローでありながらこちら(東映)で独自のキャラクターをデザインし「集団ヒーロー」の要素と、巨大ロボットの要素を組み合わせて作ったんです。

――『バトルフィーバーJ』のタイトルには、当時の東映テレビ部部長・渡邊亮徳さんの強い要望があったとうかがっています。

渡邊さんが「吉川、フィーバーだよフィーバー!」ってよく言ってましたね。1977年に『サタデー・ナイト・フィーバー』という映画が大ヒットし、日本でもディスコブームが起きたんです。そこでダンスを戦いに応用して戦う、といった『バトルフィーバーJ』の骨子が出来上がりました。

――往年の東映時代劇スター・東千代之介さんが演じた倉間鉄山将軍の頼もしい指揮官ぶりも話題になりましたね。しかしアメコミタッチのヒーローのトップに、どうして古風な武人である鉄山将軍のような人物を設定されたのでしょうか。

東さんのキャスティングは、この作品が「日本のヒーローだ」ということを強調するため意識的に行ったものです。バトルフィーバー隊の乗るバトルフィーバーロボが、鎧武者の姿をしているのと同じ発想ですね。

私が初めてプロデューサーを務めた『日本剣客伝』の「伊東一刀斎」というエピソードでは「日本舞踊」の型から一刀流の極意をつかんで会得する、といったくだりがありました。鉄山将軍の剣の動き、所作などには日本舞踊の持つ優雅さ、無駄のなさが含まれています。

ダンスをアクションに活用するバトルフィーバー隊の指揮官としては、これ以上の人はいないでしょう。バトルフィーバー隊の必殺技・ペンタフォースが通じないエゴス怪人を倒すため、鉄山将軍が袴姿で駆けだしていく(第37話「電光剣対風車剣」)。あれなんてまさに、阪東妻三郎主演の『決闘高田馬場』の名シーンを意識しています。