――敵である黒十字軍の「仮面怪人」のユニークさも大きな特色となりましたね。キャラクターデザインを手がけられた原作者・石ノ森章太郎先生とはどのようなお話をされましたか。

いつも喫茶店のテーブルで、石ノ森先生とマネージャーの加藤昇さんがいらして、「今度はどんな怪人にしましょうか」なんて打ち合わせをするんです。当初は世界各国の民芸品・仮面をモチーフにして作っていたのですが、作品が進んでいくたびにネタが少なくなってくるんですね。

あるとき、石ノ森先生が部屋のまわりにあるものとか、そのへんに転がっているものを見渡して、ササッとデザインを描かれたんです。「子どもたちに親しみのあるようなモノをモチーフにしたほうがいい」ってね。野球仮面、牛靴仮面、電話仮面、ストーブ仮面などはまさにそういった、日常に転がっているモノから生まれた怪人ですね。先生が引き出されるアイデアの豊富さ、突飛さ、柔軟さはほんとうに凄かったですね。まさに天才というしかありません。

石ノ森先生は主題歌の作詞も手がけています。先生との打ち合わせで、私が「ゴレンジャーといえば5色のヒーローですから、一節ごとに"色"を入れるのはどうですか」とリクエストしたら、よしわかったとばかりに先生がその場でスラスラっと1番の歌詞を書かれました。あのときも先生の天才ぶりに驚いた瞬間でしたね。

――オープニング主題歌「進め!ゴレンジャー」エンディング「秘密戦隊ゴレンジャー」をはじめとする音楽全般を手がけられた渡辺宙明先生の功績も大きく、日本コロムビアから発売された主題歌レコードは大ヒットを記録したそうですね。

渡辺宙明さんとは『人造人間キカイダー』からのお付き合いで、私が担当した千葉真一さん主演のアクションドラマ『ザ・ボディガード』(1974年)でもいい音楽を作っていただきました。『ゴレンジャー』以降もたくさんの作品で音楽をお願いしていますね。

――特撮ヒーロージャンルに「集団ヒーロー」という新しい流れを生み出した『秘密戦隊ゴレンジャー』は大当たりとなり、全84話、約2年間もの長期放送を成し遂げました。吉川さんが考える『ゴレンジャー』ヒットの要因とは、何だったのでしょう?

いろいろありますが、やはりカラフルな5人のヒーローが力を合わせて悪に挑む部分でしょうね。5人のキャラクターを明確に分け、「僕はアカレンジャー」「僕はアオレンジャー」「私はモモレンジャー」など、子どもたちの"ごっこ遊び"にうまく取り入れられたのが人気を呼んだのではないか、と思います。

子どもだけじゃなくて、一度女子大生のグループが私のところに「『ゴレンジャー』の話を聞きたい」とやって来たことがありましたよ。「君たち『ゴレンジャー』観て面白いの?」と尋ねると「何言ってるんですか。私たちは朝会うと、みんなゴレンジャーのポーズを取りながら挨拶するんですよ」なんて言ってね(笑)。番組の感想を記した大学ノートを5、6冊くらい見せてもらいました。こんなことがあったくらい、当時の『ゴレンジャー』人気はものすごいものがありました。

――『ゴレンジャー』に続いて製作された『ジャッカー電撃隊』は、前作との差別化もあって非常にシリアス風味の強い、ハードボイルドなアクションヒーロー作品が志向されていましたね。こちらの企画は吉川さんが中心となって進められたとうかがっていますが、作品の狙いにはどんなものがあったのでしょうか。

『ジャッカー』では『ゴレンジャー』よりもドラマチックな作品にしたいという狙いがありました。当時は子どもたちの間でスーパーカーが流行していましたから、かなり予算をかけて4台の車輛(スペードマシーン、マッハダイヤ、オートクローバー、ハートバギー)を製作しました。

4人のジャッカーはみなサイボーグ戦士なのですが、そこに至るまでには4人ともにさまざまな事情を持ち合わせているんです。基本設定からして非常に暗いムードを備え、実際に作られた作品もシリアスな展開になっていましたね。特に印象が強いのは、ミッチー・ラブさんが演じたハートクイン=カレン水木です。彼女の設定は山本周五郎の時代小説『五瓣(ごべん)の椿』の主人公・おしのから来ています。カレンは犯罪組織クライムに父を殺され、自分も腕を失っている。カレンにとってクライムは憎むべき復讐の相手なんですね。こうやって思い出しても暗いなあと思います。

――どちらかというと、そういった暗さのあるドラマ展開は吉川さんにとっても、脚本の上原さんにとっても好みの傾向ではあるんですよね。

しかし、視聴率がだんだん下がってきたので、作品のムードを明るく引き上げるため手を打たないといけなくなりました。そこで、『ゴレンジャー』のアオレンジャーで人気の高かった宮内洋さんを行動隊長・番場壮吉=ビッグワンとして迎え入れ、大暴れしてもらったんです。