横浜・放送ライブラリーにて12月13日より開催される企画展「スーパー戦隊レジェンドヒストリー~ゴレンジャーからリュウソウジャー、そして未来へ~」は、1975年に放送された『秘密戦隊ゴレンジャー』から、2019年より放送されている最新作『騎士竜戦隊リュウソウジャー』まで43作品ある「スーパー戦隊シリーズ」の歴史を凝縮した展示イベントである。

会場内には、スーパー戦隊の歴史を1作ごとに紹介するパネルや、"レッド"ヒーローや巨大ロボットの立像、そしてヒーローの武器&アイテムなどが展示されるほか、全シリーズから厳選された60本のエピソードを上映したり、豪華ゲストを招いてのスペシャルトークショーを行ったりと、あらゆる角度から「スーパー戦隊」の魅力を探る趣向がこらされている。

今回は本イベントの開催を記念して、シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)から『ジャッカー電撃隊』(1977年)『バトルフィーバーJ』(1979年)『電子戦隊デンジマン』(1980年)『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)まで連続でメインライターを務め、『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)でも活躍した脚本家・上原正三氏に登場いただき、スーパー戦隊シリーズ創成期の思い出を中心に語ってもらった。

上原正三。脚本家。沖縄県出身。1966年『ウルトラQ』で本格デビューし、『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』など円谷プロ作品を手がけた後、1969年にフリーに。以後『柔道一直線』『帰ってきたウルトラマン』『ゲッターロボ』『UFOロボ グレンダイザー』『がんばれ!レッドビッキーズ』『宇宙刑事ギャバン』『仮面ライダーJ』など、30分枠のテレビドラマを中心に活躍を続ける。メインライターとして携わったスーパー戦隊シリーズは『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』『バトルフィーバーJ』『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』の5作品。また『超力戦隊オーレンジャー』にも参加している。2017年に発表した小説『キジムナーkids』(現代書館)で、第33回坪田譲治文学賞を受賞

――上原さんにとって『秘密戦隊ゴレンジャー』は、『ロボット刑事』(1973年)『イナズマン』(1973年)『イナズマンF』(1974年)に続く東映特撮ヒーロー作品となるんですね。

そうです。それまで特撮ヒーローは「単体」というイメージが強かったから、最初に『ゴレンジャー』の話を聞いたときは"未知の世界"という感じでしたよ。5人も変身ヒーローがいて、果たして描き分けることができるだろうか?と心配がありました。

でも、ひとつの話に1人をピックアップする「主役編」を作って、それぞれのキャラクターを引き立たせるようにすればなんとかなるなと思いましたし、こりゃあ今までにない作品が出来るぞ、という気持ちになっていきました。

――『ゴレンジャー』の時期は、同時にロボットホームコメディー作品の『がんばれ!!ロボコン』(1974年)のシナリオも書かれていて、さらには『ゲッターロボG』(1975年)や『UFOロボ グレンダイザー』(1975年)といった東映動画(現:東映アニメーション)作品までもこなされ、かなりお忙しい状況だったと思います。

確かにたくさん作品を抱えてはいたんだけど、そういうときほど"大変だ"とは思わないものなんです。『ロボコン』のとき、1日に2本シナリオを上げたりもしたしね。『ゴレンジャー』もあまり考え込まずに、勢いに乗って書いていたところがあります。

――ゴレンジャーの5人の中で、特にお気に入りのキャラクターは誰でしょう。

熱血漢のアカレンジャー、クールなアオレンジャー、若さのミドレンジャーと、それぞれ違うタイプのカッコよさを打ち出したヒーローに加えて、男顔負けのアクションを見せるモモレンジャーと、ムードメーカーのキレンジャーがいますよね。

僕はこのキレンジャーの大ちゃん(大岩大太)が特に好きなキャラクターなんです。大ちゃんを演じていた畠山麦さんは、僕が初めて東映でシナリオを書いた『柔道一直線』(1969年)に出演(松山俊夫役)していたころから知っていました。彼が大盛りカレーをモリモリ食べている姿なんて、実にいいですよね。

僕の書いた作品のヒーローは、子どもたちにとって「身近な存在」であり、気軽に声をかけられる「親しみやすさ」を強く意識しています。カレーやラーメンなど、自分が好きな食べ物をテレビの中のキャラクターが食べていると、とても親しみがわくでしょう。円谷プロで書いていた『快獣ブースカ』(1966年)でもブースカはラーメンが大好物で、子どもたちから愛されました。

『ゴレンジャー』ではスナック「ゴン」が彼らの秘密の集合場所ですから、スナックで出すメニューならラーメンよりはカレーだよな、と思ってキレンジャーにカレーを食べさせるようにしたんです。僕が円谷プロの社員だったころは、みんなでスナックへ行ってよくカレーを食べていましたから、そこから発想したってところもありますね(笑)。