――『バトルフィーバーJ』で新たなスタートを切った「スーパー戦隊」は、『電子戦隊デンジマン』(1980年)『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)と続き、いつしか子どもたちが楽しむ特撮ヒーロージャンルの"定番"の人気シリーズとなっていきました。

『デンジマン』も『サンバルカン』も非常に思い出深い作品です。私が担当したこれらのシリーズでは、脚本だと上原正三さん、高久進さん、曽田博久さん、監督では竹本弘一監督、山田稔監督、小林義明監督、音楽は渡辺宙明さん、キャラクターデザインは野口竜さん、久保宗雄さん、アクションは金田治さん、山岡淳二さん、造型は前沢範さん、特撮は矢島信男さんと、まさに一騎当千の猛者たちが集まったからこそ、良質で面白い作品が出来たと思っています。

また、私の目の届かないところでも岸田森(太陽戦隊サンバルカン/嵐山長官役)さんや曽我町子(電子戦隊デンジマン・太陽戦隊サンバルカン/ヘドリアン女王役)さん、企画者104の葛西おとさんたちが若い俳優たちのことを何かと気にかけて、面倒を見てくれたりして、とてもありがたかったですね。

――吉川さんが育てあげたスーパー戦隊シリーズは『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)以後も年1作品のペースで作られ続けている上、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)がアメリカのサバン社で再編集され『POWER RANGERS』として世界中で大ヒットしたのも話題となりましたね。

『POWER RANGERS』を製作したハイム・サバン氏は『サンバルカン』のころから東映を訪れており、何度も「スーパー戦隊」をアメリカで放送したいと熱心に活動していました。しかし、アメリカ3大ネットワークでは、日本と違って暴力シーンの規制がすごくて、なかなか実現できなかったんです。それでもサバン氏は粘り強く頑張って、10年越しで『ジュウレンジャー』をアメリカに持っていくことが叶ったんですね。

『POWER RANGERS』の最初のほうでは、日本で撮影したスーツアクションと特撮シーンを使い、変身前のドラマパートをアメリカの俳優で撮り直しているんですが、魔女バンドーラ(POWER RANGERSでは魔女リタ)役の曽我町子さんだけは『ジュウレンジャー』のフィルムをそのまま使用させてほしいと、サバン側から要望がありました。それだけ曽我さんのキャラクターが強烈で魅力的だったんでしょうね。

――吉川さんは『ゴーグルファイブ』の初期に「企画」として携わられてから、新たな方向性を目指した『宇宙刑事ギャバン』(1982年)のほうに移られましたが、これ以後もずっと「スーパー戦隊シリーズ」は1年に1作ずつ作られ、現在の『騎士竜戦隊リュウソウジャー』(2019年)で43作目を数えるまでになりました。吉川さんが考える「スーパー戦隊シリーズ」を作る上で大切なこととは、何でしょうか?

私がヒーロー作品を作っていたときの持論ですが、ヒーローは必ず「しいたげられし者、弱い者を助ける」存在でなければなりません。さらには「自分の身を捨ててでも、守るべき者のために戦う」存在でもあります。この部分だけは未来永劫、作り手が守り続けていかないといけない部分なんです。

「スーパー戦隊」に関して言いますと、5人がそろって力を合わせないと敵には勝てない、という部分。これは守り続けてほしいですね。今もなお、新しいヒーローを作っていこうとする人は大変だと思いますが、守るべき大切な要素は守った上で、時代に合った新しい要素を加えながら、良い作品を作り上げてほしいと思っています。