感想戦

後日、屋敷九段と山本氏に取材を申し込んだ。焦点はもちろん図3の局面だ。敗着を指さなければどうなっていたのか。

終局直後の屋敷九段

まず、屋敷九段からメールの返信があった。局後に考え直した結果、▲6六銀がよかったのではないか、という。以下の読み筋は△8三歩▲5六桂△同金▲6五飛△5四玉▲5六歩△8四歩▲4四歩という順を挙げていた。互いに我が道を往く寄せ合いだ。屋敷九段は「難しい戦いですが、少し分があったと思います。ただ、実戦では選びにくい順でした」と見解を述べる。

最後は、こんな言葉で結ばれていた。

実戦のときは思いつかなかったので、結果論かもしれません。

終局直後の山本氏

この返信のメールに目を通した同じ日に、山本氏と都内のコーヒーショップで待ち合わせた。気になる手があることを伝えると、彼はノートパソコンを取り出し、自宅のPonanzaをリモート操作で動かしてくれた。将棋電王トーナメントが終わってから改良を続けた最新版だ。ちなみに、この最新版のPonanzaでは、本譜の飛車と金桂桂香の4枚換えになった局面を対局当日のPonanzaほど高く評価していないという。

図3

懸案の局面である図3から、▲6六銀を入力して検討させる。山本氏がPonanzaの読み筋を読み上げていく。

△8三歩、▲5六桂、△同金、▲6五飛、△5四玉、▲5六歩、△8四歩、▲4四歩……。

その声を聞いている間、私は心臓をつかまれたような思いだった。紛れもなく、屋敷九段が示した読み筋と一致している。だが、その感動が「コンピュータが棋士と同じ読み筋を示した」ことから来るものなのか、それともその逆なのかはわからなかった。

結局、最新版のPonanzaはこの変化を「ほぼ互角」と判断した。あらためて図3の局面を検討させてみると、Ponanzaの読み筋に▲6六銀は現れない。山本氏は、ノートパソコンのディスプレイを見つめ、「▲6六銀はなかなか読めない」とつぶやいて押し黙った。

これで「▲6六銀が決め手だった」となればひとつのストーリーのできあがりだが、事実は違う。▲6六銀を指したとして、そこからはほぼ互角の勝負が続くのだ。考えてみてほしい。その後に図3と同じような、致命的な見落としが潜む場面に屋敷九段は何度遭遇することだろう?

人間は「一本釣り」のように手を読み、視界に入らない手のほうが多い。正解を探し当てたときの効率は高いが、読み抜けの危険も高まる。一方、コンピュータは全幅探索が主流で、見落としという概念がない。両者は読みに対するアプローチが根本的に違うのだ。

形勢は互角に近い。だが、勝負としてはどうか。「分の悪い賭け」――そんな言葉が頭をよぎる。すっかり冷めたコーヒーに口をつける。苦みと酸味がやけに強い。

終局後の会見の様子

ミスは避けられないのか

豊島七段がYSSに勝った将棋は、最初に差をつけることで致命的な見落としが生じにくい展開になっていた。こうした局面は「まだ山ほどあるでしょうね」と山本氏は言う。だが、対コンピュータ戦略をよしとしないのであれば、人間側はミスを極力減らせるような環境がない限り、終盤の競り合いではどうしても苦しくなるだろう。

森下卓九段は記者会見で「継ぎ盤あり、一手15分あればミスはなくせる」と語っていた。現在のルールを思えば突拍子もない提案に聞こえてしまうが、人間とコンピュータの読み方の違い、ミスによって負けるという将棋の性質を考えたとき、それは人間の能力を十分に発揮するための条件になり得るとは考えられないだろうか? 都合のいい希望に聞こえるかもしれない。だが、ミスを極限まで排除した戦いが生まれるのであれば、純粋にそれを見てみたくはないか。

人間とコンピュータの戦いに何を望むか。それは「どちらが強いか」、どこまでいってもその一点しかない。互いの限界を引き出すレギュレーションができれば、人間とコンピュータの可能性をもっと高い次元で感じることができるはずだ。

将棋電王戦FINAL 観戦記
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第4局 村山慈明七段 対 ponanza - 定跡とは何か、ponanzaが示した可能性
第3回将棋電王戦 観戦記
第1局 菅井竜也五段 対 習甦 - 菅井五段の誤算は"イメージと事実の差
第2局 佐藤紳哉六段 対 やねうら王 - 罠をかいくぐり最後に生き残ったのはどちらか
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第2回将棋電王戦 観戦記
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