注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『TXQ FICTION』をはじめとするフェイクドキュメンタリーから、ゴールデンタイムの『バカリズムのちょっとバカりハカってみた!』(毎週水曜20:54~ ※8月19日は18:25~)まで手がけるテレビ東京の大森時生氏だ。

コアな層に強烈に刺さる深夜番組と、より多くの人に届けるゴールデン番組。一見まったく異なる視聴者に向き合う中で、共通して大切にしているのは「真剣にやる」ことだという――。

  • テレビ東京・大森時生氏

    大森時生
    1995年生まれ、東京都出身。一橋大学卒業後、2019年にテレビ東京へ入社。『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』を経て、『ありえへん∞世界』でディレクターを担当し、現在は『バカリズムのちょっとバカりハカってみた!』で演出。『Raiken Nippon Hair』で「テレ東若手映像グランプリ2022」に優勝し、その後『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』『このテープもってないですか?』『SIX HACK』『祓除』など、フェイクドキュメンタリーやホラーの手法を取り入れた作品を相次いで手掛ける。『イシナガキクエを探しています』『飯沼一家に謝罪します』などの『TXQ FICTION』シリーズでも演出・プロデュースを担当し、展覧会『行方不明展』『恐怖心展』などテレビの枠を超えた企画にも活動を広げる。23年には「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。26年公開の映画『遺愛』では企画プロデュースを担当した。

『シナぷしゅ』で感じた“ルールがない”面白さ

――当連載に前回登場した『シナぷしゅ』の飯田佳奈子統括プロデューサーが、大森さんについて「『シナぷしゅ』に“こういうのが作りたいんです”と参加してくれているんです。彼の佇まいや生き方も含めて素敵だなと思っています」とおっしゃっていました。

『シナぷしゅ』は、近年のテレ東の歴史の中でも一番エポックメイキングな番組だと思っています。IPビジネス的なアプローチとしても素晴らしいですし、何より「社会に必要だったけれど、これまで存在しなかったもの」をあのクオリティで見いだした功績は本当に大きい。僕にはなかなか真似できない素晴らしい番組です。

それに月替わりの歌などにエッジの効いたクリエイターを起用しているところにも惹かれました。自分もディレクターとして参加して、そういったクリエイターの方たちと出会えたらいいなという邪(よこしま)な気持ちもあったんです(笑)

――『シナぷしゅ』ではどのような作品を作っているのですか?

一番大きいもので言えば、昨年度のオープニングとエンディングの映像です。毎日流れる映像なので、責任を持って作りました。監督は、『TXQ FICTION』などでもご一緒している川滝悟司さんにお願いしました。その年のテーマが「トロピカルジャーニー」だったので、扉を通過するたびに赤ちゃんがちょっとずつ成長していく姿を捉える構成にしました。放送後、SNSなどで親御さんたちが「泣いた」とつぶやいてくれているのを見ると、本当にいい仕事をさせてもらっているなという気持ちになりましたね。

――Franz K Endoさんも起用されていましたね。

そうですね。気になっていた映像作家の内田清輝・グ弍さんなど、様々な方々とも結構ご一緒しています。

――赤ちゃん向けのコンテンツを作るにあたって、気をつけていることはありますか?

「光の点滅を激しくしない」「カットをパカパカ切り替えない」「原色をうるさく使いすぎない」といった、最低限のことはもちろん気をつけていますが、それ以上のルールがほとんど存在しないのが面白いところだと思っています。赤ちゃんを100人集めてリアクションを見るということは、現実問題難しいじゃないですか。だから、どんどん流してトライ&エラーを繰り返して、その中から自然と人気コーナーが生まれていく。自分たちが言語化できないけど、「なんかいい」と信じられるものを素直に作って、それが赤ちゃんにどう届くかを見届けるという感覚で、すごく自由なのがいいなと思っています。

――反響は気にされますか?

それが一切存在しない世界なのも逆に新鮮でいいなと思います。赤ちゃんはつぶやけないですから(笑)。僕も将来的に子どもができたら見せると思いますね。『シナぷしゅ』以外見せるものがないんじゃないかっていうくらい『シナぷしゅ』は見せやすそうだなと思います。

――大森さんご自身は子どもの頃、どんなテレビ番組をご覧になっていましたか?

『トリビアの泉』(フジテレビ)とか『ほこ×たて』(同)などを面白いと思って見てました。僕らの世代だと『はねるのトびら』(同)が流行っていて、学校で「ギリギリス」とかをみんなでやっていましたけど、僕はそれを「恥ずい」と思っていた記憶があります(笑)。芸能人の真似をして何かをやるという行為が子供心に恥ずかしいという自意識があったんだと思います。今思うと別にやればいいじゃんって思いますけど。

「それなりに得意」だったAD業務

――テレビ局に入った経緯は?

実は、テレビ局はテレ東しか受けていないんです。大学は現役で合格したんですけど、あまり行く気がしなくて、1年間ほとんど行きませんでした。2年生になって通い始めたら、周りはみんな新入生で、僕は学内で1文字も音を出さずに卒業したっていうくらい大学に思い出が1個もない(笑)。だから、その分、名画座とかで映画をたくさん見ました。

でも、映画会社やテレビ局を受けるという発想はなかった。大学の属性もあって、元々はコンサルやソフトバンク、リクルートといった企業をメインに受けていました。ものづくりは楽しいだろうけど、サークルにも入ってなかったので「自分がものづくりをする」というビジョンがまったく湧いていなかったんです。

そんな時に、上出(遼平)さんの『ハイパーハードボイルドグルメレポート』(テレビ東京)や、竹村(武司)さんらが作った『山田孝之の東京都北区赤羽』などのフェイクドキュメンタリーを観て、シンプルに「めちゃくちゃ面白い」と。それで上出さんのインタビューを読んだら、「大学時代は何もしていなかった」的なことが書かれていて。「それなら、自分にもワンチャンあるかもしれない」と思ったんです。テレ東は他局に比べて試験が始まる時期が遅いので受けてみたら、たまたま合格したという感じですね。

――最初は『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』に配属されたそうですね。AD時代のご自身をどのように評価しますか?

僕はADがそれなりに得意でしたね。真面目かつ怒られるのがすごく嫌なので、とにかく徹底的にミスがないようにやっていました。だからずっと疲れていましたね(笑)。今思うと、多少ギャンブル的に「まあいいか」と割り切ってやったほうがいいこともADには結構多いんですけど、当時はそれが嫌で、どのパターンに分岐しても大丈夫なようにと考えていたので、常に気疲れも含めて疲れていました。恥をかきたくないという、かなり利己的な理由で真面目だったんだと思います。

――ディレクターになったのは『ありえへん∞世界』からですか?

そうです。テレ東は比較的早くディレクターをやらせるという文化なので、2年目の終わりから3年目の始めの頃にはディレクターになっていました。

――「師匠」と呼べる方はいらっしゃいますか?

いや、これはテレ東の強みであり弱みでもあると思うんですけど、ノウハウの伝承っていう概念が異常に存在しないんです(笑)。日テレさんとかを見ていてすごいなと思うのは、古立善之さんとか高橋利之さんのメソッドが明確に伝承されているじゃないですか。テレ東はそれがなくて。だから逆に佐久間(宣行)さんとか高橋(弘樹)さんみたいに、特異点のような才能が生まれるのかもしれない。

ただ『ありえへん∞世界』のプロデューサー・演出から、どうやったら視聴率をとれるかを真剣に向き合う姿からは、かなり学びましたね。テレ東という、チャンネルをザッピングする時にまず選ばれないチャンネルで、NHKや日テレの番組からすぐに離脱してもらうためにどう視聴を継続させるか、離脱のチャンスをいかに減らすか、ということをあんなに真剣に考えているのかと。

自分の作るクリエイティブな部分に直接作用しているというより、どういう姿勢で、どうすれば人の気持ちが離れないかをどれだけ真剣に考えるかという部分を、一番学んだのが『ありえへん∞世界』でした。