注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、テレビ東京で民放初の乳幼児向け番組『シナぷしゅ』(毎週月~金曜7:30~)を立ち上げた飯田佳奈子統括プロデューサーだ。
2020年4月のレギュラー放送開始から7年目を迎えた同番組は、YouTubeチャンネルの登録者数が87万人を超え、23年・25年と立て続けに映画化も果たすなど、赤ちゃん向けコンテンツの定番として広く知られる存在となった。第一子の育休明け直後にこの番組を企画し、現在は二児の母でもある飯田氏が、番組への思い、そして乳幼児向けコンテンツが社会に果たす役割について、その熱い志を語ってくれた――。
-

飯田佳奈子
1988年生まれ、群馬県出身。東京大学卒業後、2011年テレビ東京に入社。制作に配属され、アニメ局を経て営業局で『YOUは何しに日本へ?』『開運!なんでも鑑定団』『出没!アド街ック天国』などのセールス促進を4年間担当。18年に第一子となる長男を出産し、19年には復職後すぐに『シナぷしゅ』を企画。22年に長女を出産し、二児の母でありながら、『シナぷしゅ』の演出面・ビジネス面を含めた統括プロデューサーを務める。
1週間50コンテンツ「作ってみて問いかける」の日々
――当連載に前回登場した読売テレビの汐口武史さんが、『シナぷしゅ』について「今、最初に見るテレビがテレ東になっている。その戦略はすごいなと思います。子ども向け番組は作り手のエゴを全部捨てないといけない部分があるので難しいと思うのですが、それよりも下の年代の乳幼児向け番組はどのような思いで作られているのか、聞いてみたいです」とおっしゃっていました。
私は逆にやりやすいですね。自分が面白いか面白くないかで判断することではないので、作ってみて問いかける、作ってみて問いかけると繰り返す感覚なんです。『シナぷしゅ』はベルト番組で、問いかけるチャンスが毎日やってきますし、ショートコンテンツがたくさん詰まっているので、1日に10コンテンツあるとしたら、1週間で50コンテンツ問いかけられる。素直に作って、素直に出して、反応を見て、「これは響いている」「これは響いていない」「こっちが響いているから、この方面でもう少し本数を増やしてみよう」と考えていくんです。
一番嫌なのは「無風」です。例えば「うちの子がこのコンテンツでめちゃくちゃ泣くんです」という反応も頂くのですが、良くも悪くも反応があるのはいいコンテンツだと思っています。一生懸命作ったのに反応がない時は、「これは無風なんだ」と受け止めて作り替えていく。トライアンドエラーだと思ってやっています。
――その反響はどうやって見ているのですか?
SNSをひたすら見ています。番組を始めてから数年は、X(Twitter)もInstagramも全部一人で運用していました。最初はフォロワーの数もそんなに多くなかったので、来たコメントもDMも一つ一つ返信していました。そうすると、視聴者の方がどんどん教えてくださるようになるんです。皆さん、自分のお子さんのことを誰かに聞いてほしい気持ちがあるんですよね。「うちの◯歳◯カ月の娘はこのコンテンツが好きです」「これはすごく反応が悪いんですけど、なんでですかね」といったコメントもたくさん届くようになりました。
自分の子どもが生まれて『シナぷしゅ』を作ったのですが、子どもは成長して、だんだん“シナぷしゅ世代”から卒業していきます。でもSNSを通じて、今『シナぷしゅ』を見ている世代と常に壁打ちをしているので、目線がブレずに作れている。マーケティングが無料でできているという気持ちです。
――ご自身のお子さんの反応も確認されているのですか?
もちろん見ています。ここ7年、我が家のテレビが朝7時半に『シナぷしゅ』以外映っていることはないです(笑)。毎日家族で見て、3歳の子のリアクションと、今は小学校2年生になった上の子のリアクション、さらに夫のリアクションも見ています。
『シナぷしゅ』はストイックに0~2歳児向けに作っていますが、その背後には必ず大人がいるじゃないですか。大人が子どもに見せるものとしてどう思っているのかも、リアクションとして知っておきたいんです。
「東大卒が意味を持たない仕事を」テレ東を選んだ理由
――飯田さんはなぜテレビ局を目指したのですか?
東京大学に通っていたのですが、どこへ行っても「東大なんだね」と言われてしまうのが、あまり心地よくなかったんです。だから、できるだけ東大を出たことがあまり意味を持たないような仕事に就きたいなと(笑)。経済専攻で入学したのですが、入ってみると周りは就職のことばかり考えていて、私は「学問とはもっと個人的な探求なのではないか」と思ったんです。それでフランス文学科に進学しました。
就職の時も、官僚や銀行などに進むと「東大の人じゃん」となってしまう。それはつまらないなと思って、クリエイティブな仕事をしたいと考えました。
――その中で、なぜテレビ東京だったのでしょうか。
テレビ東京って、局ならではのアイデアがあって、それを他局が規模を大きくして展開することもあるじゃないですか。0から1を作ることに一番長けているのは、もしかしたらテレビ東京なんじゃないかと思ったんです。
――ということは、制作志望で入ったんですね。
制作に配属されて、伊藤(隆行)プロデューサー(現・アニメ局長)についていました。制作の基礎を教えていただきましたし、今もよく飲みに連れて行ってもらいます。それで、最初に担当したのは、新しく始まったゴールデンタイムのバラエティ番組でした。なかなか苦戦して、毎週ラインナップが変わることも多く大変でした。
――その後はどちらへ?
アニメと営業を経験しました。営業は長かったのですが、その経験が自分のキャリアにとってはすごく良かったんです。営業を見て初めて、テレビの仕組みが分かりました。
制作にいる頃は目の前のことに必死で、自分たちが何を使ってテレビを作っているのか、分かっていなかったんです。営業に行った時に、みんなが一生懸命お金を稼ぐのを見て、「なるほど、会社ってこうやって成り立っているんだ」とすごく勉強になりました。そういう意味で、営業の経験が後の『シナぷしゅ』につながっていると思います。