昨年から続くコロナ禍は、1年以上が経過した現在も収束する気配を見せない。東京オリンピック・パラリンピックは予定通り開催されたが、新型コロナウイルス感染症の陽性者数が急拡大した影響から、政府は夏休み期間中の旅行や外出、お盆の帰省を控えるようアナウンスした。緊急事態宣言やまん延防止措置が発出され、適用地域も拡大している。

  • JR横須賀線の逗子駅。駅前にロータリーが整備され、バス・タクシーや送迎用の自家用車などが頻繁に行き交う玄関駅となっている

多くの海水浴場を抱える神奈川県もコロナ禍の影響を受けている。例年なら、7月初旬から9月にかけて海水浴客やマリンレジャーを楽しむ人たちでごった返す逗子海岸も、緊急事態宣言の発出で様相が一変した。海岸から人がいなくなり、海辺から聞こえる楽しげな声も消失した。

逗子海岸の最寄り駅は、JR横須賀線の逗子駅と京急逗子線の逗子・葉山駅。両駅は約400m離れており、徒歩5分の距離にある。

  • 京急逗子線の終点、逗子・葉山駅。2020年に新逗子駅から改称された

  • 逗子・葉山駅の南口はモダンな駅舎

  • 逗子・葉山駅を発車する京急逗子線の電車

京急電鉄は2020年、逗子線の終着駅をそれまでの新逗子駅から逗子・葉山駅に改称した。ただし、逗子・葉山駅は逗子市に所在し、別荘地や御用邸で知られる葉山町にはない。そもそも葉山町には鉄道の駅がない。それでも京急電鉄が「葉山」を駅名に付けたのは、JR線と差別化を図る意図や、葉山のブランド力を生かしたいとの思いが込められているのではないかと推定される。

JR線と京急線の両駅に挟まれたエリアでは、レストランやカフェ、雑貨店などが軒を並べる。このあたりが、逗子市の最もにぎやかなエリアといえるだろう。

JR線の逗子駅は平凡な外観の駅舎だが、駅前広場が整備されている。バス・タクシーの結節点ともなるロータリーがあり、多くの人が利用している。

一方、京急線の逗子・葉山駅は、JR線の駅から近い北口に小さな広場のようなスペースが整備されているものの、多くの人が利用する海岸のある南口には、自動車を止められるようなスペースが整備されていない。バスは南口にも停車するが、南口の前にある道路は夏季になると海岸方面へ向かう自動車で渋滞する。

  • 逗子海岸の近くには、ヨットなどを停泊させるマリーナなどもある

JR線の駅に対し、京急線の駅前が整備されていない理由のひとつに、京急線の駅が複雑な変遷を経ていることが挙げられる。京急電鉄の前身である京浜電鉄が立ち上げた子会社、湘南電気鉄道は1930(昭和5)年、湘南逗子駅を開設した。湘南逗子駅は湘南電気鉄道の終点だったために、ホームから400m先まで引上げ線が延びていた。

翌年、この引上げ線の先端に湘南逗子駅葉山口乗降場が設置される。海岸に近い葉山口乗降場が開設されたことで、海水浴客の利便性が高まった。葉山口乗降場は1948(昭和23)年に逗子海岸駅として独立。翌年には、休日限定ながら品川駅から湘南海岸駅へ向かう直通列車の運行も始まった。

1952(昭和27)年に神武寺駅から逗子海岸駅まで複線化され、同時に品川駅から逗子海岸駅まで特急の運行も開始された。京急が逗子や葉山を海水浴リゾート・別荘地と考え、沿線開発に力を入れていたことがわかるような歴史の変遷だが、現在のJR線や京急線の駅周辺を見ると、大規模な商業開発というより、静かな避暑地としての開発をめざしたという雰囲気を感じさせる。

JR線の逗子駅の近くには、鉄道的な名所があった。逗子駅から東へ300mほどの場所に第4種踏切がある。第4種踏切とは、警報機も遮断機もない踏切のことをいう。運転本数の少ないローカル線に多く残っているが、都市圏では珍しい。しかも、この踏切は留置線などを含む7つの線路を跨ぐため、危険との判断から長らく廃止が議論されてきた。そして、今年8月に廃止された。

  • 横須賀線に残っていた第4種踏切

  • 留置線を含めて7本の線路を跨ぐため、危険との判断から今年8月に廃止された

  • 横須賀線の車両。新型車両E235系も見える

JR線と京急線の駅を結ぶ道路は、途中に市役所も立地しているので交通量が多い。ただし、少し横道に入れば静かな佇まいになる。駅の裏手に流れる田越川の側道は、海岸の喧騒とは打って変わった雰囲気を感じさせる。

大正から昭和にかけて、徳冨蘆花や国木田独歩といった文人たちは逗子に逗留した。彼ら文人は静かな環境を求めて滞在。夏季に過ごしやすいこの地で、創作活動にふけった。

  • 逗子・葉山駅の北口近くにある逗子市役所。周辺は市街地で、飲食店などが並ぶ

  • 国木田独歩や徳富蘆花などが愛した逗子。ゆかりの地として碑が残る

  • 蘆花記念公園の入口

逗子に注目したのは文人だけではない。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の後を継ぎ、明治期に徳川宗家の当主として、貴族院議長を歴任した徳川家達も別邸を構えた。

徳川家達別邸は蘆花記念公園内の丘陵地にあり、邸宅から逗子湾を一望できる。徳川家達の手を離れた邸宅地は、ほぼそのままの姿で保存され、逗子市の郷土資料館として長らく使用された。しかし昨年、老朽化などを理由に閉館。今後、市は邸宅の再整備を含めた新たな活用を模索している。

  • 蘆花記念公園の丘陵を登ったところにある旧徳川家達別邸。郷土資料館として使用されていたが、現在は閉鎖中

蘆花記念公園は、ちょっとした山もしくは森林といった雰囲気が漂う自然豊かな場所になっている。それもそのはず、同公園は長柄桜山古墳群の一画でもある。1999(平成11)年、携帯電話の基地局を設営するために伐採や整地を行った際、埴輪が出土したことから歴史的な発見となった。

それらの発見時にも古墳群の調査や測量などが進められたが、まだ発見から歴史が浅いこともあり、今後さらなる調査が予定されている。そこで新たな発見がなされる可能性も十分にある。いずれにしても、それまで前期時代の古墳は三浦半島で確認されていなかったから、長柄桜山古墳群が歴史的な発見であることは間違いない。

  • 蘆花記念公園は長柄桜山古墳群の一画に整備されている。登り窯なども保存されている

コロナ禍により、2年連続で静かな夏を迎えることになった逗子だが、もともと静かな避暑地だったことを思えば、元来の姿に戻ったといえるかもしれない。