多くの神社仏閣にとって、正月は1年のうち最も参拝者でにぎわうシーズン。良い新年を迎えようと、多くの初詣客が願掛けに訪れる。しかし、2021年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大を避けるべく、分散参拝が呼びかけられた。そのため、例年に比べて静かな正月となった。

  • 川崎大師駅の南口駅舎は、川崎大師の雰囲気を漂わせるデザイン

新年に神社仏閣を参拝する初詣は、日本古来の習慣・伝統ではなく、明治時代に鉄道会社が生み出した新習慣とも言われる。それまでは各々が三々五々、地元の神社仏閣を参拝していたが、鉄道の登場によって遠くの神社仏閣へも行けるようになり、霊験あらたかな名刹に人気が集まるようになった。鉄道網の拡大とともに、初詣は庶民に定着した。まさに「新しい生活様式」だった。

明治以降に生まれた「新しい生活様式」といえる初詣は、昨今のコロナ禍により、「分散参拝」「オンライン参拝」という、さらなる「新しい生活様式」へ発展的に変化する兆しを見せている。

初詣を生み出した鉄道、その代表格ともいえる路線が、京急川崎~小島新田間を結ぶ京浜急行電鉄の大師線だ。大師線といえば、東京都内の西新井~大師前間を結ぶ東武鉄道の大師線もあり、混同を避けるため、「京急大師線」「東武大師線」と呼ぶなどで区別している。もっとも、地元の人なら「京急」「東武」は付けず、「大師線」と呼ぶだろう。

東武鉄道の大師線も由緒ある路線だが、京急電鉄の大師線は鉄道と初詣を語る上で避けることができない。なぜなら、同路線は川崎大師への参拝者を輸送する目的で1899(明治32)年に開業した、京急最古の路線だからだ。

大師線の電車は、近年になって急速に発展を遂げる京急川崎駅の発着で運転される。京急川崎駅を出ると間もなく、車窓はのどかな街の風景に変わる。遠くには工業都市・川崎を感じさせる風景も見えるが、大師線の沿線は住宅街の趣が強い。

  • 京急最古の路線である大師線。川崎大師駅の駅前に「発祥之地」の碑が立つ

  • 川崎大師駅の南口広場に、京急電鉄のマスコットキャラクター「けいきゅん」の像も

京急川崎駅から川崎大師駅までは約2.5km。わずか3駅の短い旅。川崎大師駅で下車する乗客の多くは、川崎大師のある南口へと流れる。南口の駅前広場には、京急発祥の地であることを示す碑があり、その隣に京急電鉄のマスコットキャラクター「けいきゅん」の像も建立されている。

古刹の最寄り駅でありながら、どことなく現代のエッセンスを感じさせる川崎大師駅の駅前から、人の流れに身を任せて商店街を歩くと、約7~8分で川崎大師に到着する。平日でも多くの参拝者が川崎大師を訪れ、参道に並ぶ店舗もにぎわっている。

  • 駅から川崎大師までの参道に、土産品店や飲食店が並ぶ

  • 風格を漂わせる川崎大師の大山門

  • イスラム建築のような薬師殿

神奈川県の寺院では抜群の知名度を誇り、参拝者を集める川崎大師の正式名称は平間寺。しかし、川崎大師の呼び名のほうが一般的で、平間寺と呼ばれることは少ない。広大な境内には、大本堂や大山門をはじめ、風格と歴史を漂わせる建築物が存在している。中でも薬師殿は、どことなくイスラム教のような雰囲気を醸す異色の建築物となっている。

境内地の南側に隣接する大師公園は、芝生広場や大型遊具がある住民憩いの場。その一画にも異国を感じさせる公共空間がある。それが、中国の香りを漂わせる瀋秀園だ。瑠璃瓦、木組、獅子像、太湖石など、中国の庭園を模したもので、川崎市・瀋陽市姉妹都市提携5周年を記念し、1987(昭和62)年に瀋陽市から贈られたという。

  • 大師公園は広々とした空間で、野球場やテニスコートもあり、住民憩いの場に

  • 大師公園の一画にある瀋秀園。公園の施設の中でも異彩を放っている

川崎大師駅まで戻り、南口広場から川崎大師とは反対側の方向へ歩くと、すぐに若宮八幡宮が見えてくる。若宮八幡宮の境内には、子宝・安産に霊験があるとされる金山神社もある。

金山神社は「男性」を御神体として安置し、毎年4月の第1日曜日に、盛大な「かなまら祭」が催される。「かなまら祭」は外国人観光客にも好評で、旧来からの伝統を守るだけでなく、「大根削り」という新たな祭事も取り入れられている。「かなまら祭」は歳月を経るごとに新しい趣向が凝らし、規模も拡大してきた。

しかし現在、新型コロナウイルス感染症の影響で外国人観光客が減り、また多くの人が集まる祭りも中止・延期が相次いでいる。「かなまら祭」も開催は不透明だ。

  • 金山神社は子宝・安産祈願としてもご利益があることで知られる

  • 川崎大師駅北口。南口と比べて昼間の利用者は多くない

  • 川崎大師駅の北側は工場地が広がる

川崎大師駅では、川崎大師や金山神社などの名所が駅の南側に点在している。一方、駅の北側にも出入口がある。こらちは大規模工場地・事業所が広がり、朝夕のラッシュ時には北口側もにぎわう。その工場地は近年になって宅地化が進んでいる。川崎市全体においても、工場地から住宅地への転換が進み、新しい住民が増えている。

工場地の北側に多摩川が流れ、川の向こうは東京都大田区となる。多摩川は昔から渡し船が行き来し、多くの渡船場があった。川崎大師の近くにも、「大師の渡し」と呼ばれる渡船場が存在した。「大師の渡し」は川崎大師と羽田を結ぶもので、1877(明治10)年に開業。多摩川の渡し船の中では比較的新しかった。

  • 「大師の渡し」跡を示す碑。多摩川の向こうは東京都

  • 大師線の一部区間で地下化工事が進められ、2019年に東門前~小島新田間が先行して地下へと切り替えられた

川崎大師駅周辺の街並みは時代とともに変化してきた。大師線には地下化の計画もある。全線を地下化することで一旦決定したが、その後、費用対効果の観点などから計画を変更。2019年、先行して東門前~小島新田間が地下へと切り替えられた。川崎大師駅を含む鈴木町~東門前間も地下化される予定だ。新型コロナウイルス感染症の影響もあり、今年度の工事着手は見送られたとのことだが、川崎大師駅の地下化が実現すれば、駅周辺も新しい街へと生まれ変わるだろう。