FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「オージー・ショック」を解説します。

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これまで述べてきたように、2008年9月からのリーマン・ショックの中で世界経済は大恐慌以来の「100年に一度の危機」の様相となりました。ただ株安、リスクオフはその1年ほど前から続いていたものでした。

そして、「100年に一度の危機」、リーマン・ショックを前後にして起こったのが、豪ドルの暴落という「悲劇」だったのです。そこで今回はリーマン・ショックにおけるFX最大の事件ともいえる「オージー(豪ドル)・ショック」について述べてみたいと思います。

パリバ・ショック、そしてベアー・スターンズ・ショック

リーマン・ショック以前で、株価急落というリスクオフが最初の注目を集めたのは2007年8月の「パリバ・ショック」と呼ばれた相場でしょう。この頃から、2000年代前半のITバブル崩壊後の低金利政策を受けた不動産、住宅、債券などの資産バブル、それに伴う過剰な信用供与の反動が出始めました。それによる最初の株価暴落が、フランスに本拠を置く世界有数の金融グループの一つであるBNPパリバの関連会社がきっかけとなって世界中がパニックに陥った「パリバ・ショック」だったのです。

こうした中、米国の株価指数であるNYダウも1万4,000ドルから一時1万3,000ドル割れへ約1割の下落となりました。しかしすぐに反発に転じると、10月には最高値を更新したのです。それでも、さすがに株高もここまででした。金融危機の主役として、いよいよ米国の金融機関が注目を集めるようになっていったのです。

2008年にかけて、世界中が固唾を飲んで見守るようになったのは、米国の大手投資銀行、ベアー・スターンズの経営危機でした。ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズに次ぐ全米第5位の投資銀行だったベアー・スターンズは、2008年3月、ギリギリで米銀最大手の一つ、JPモルガン・チェースに救済されたものの、経営破綻寸前まで追い込まれたのです。そんな動きを見ながら、NYダウも最大で2割近く下落し、1万2,000ドル割れとなりました。

  • 【図表】米ドル/円の週足チャート(2005~2009年)(出所:マネックストレーダーFX)

    【図表】米ドル/円の週足チャート(2005~2009年)(出所:マネックストレーダーFX)

では、このようなリーマン・ショックまでの約1年間に起こった「2大ショック相場」、パリバ・ショック、ベアー・スターンズ・ショックにおいて、為替相場はどのように動いたのでしょうか。最初に言っておきますが、じつは少し気になるところがあったのです。

米ドル/円は、「ショック相場」というリスクオフ局面で円高(米ドル安)が着実に広がっていったのに対し、たとえば豪ドル/円の場合は円高・豪ドル安の一進一退が続いたのです。別な言い方をすると、リスクオフが広がる中で、米ドルに対しては円高が広がったのに対し、豪ドルに対しては円高は伸び悩む状況が続きました。

要するに、豪ドルは米ドルに比べて、株安、リスクオフが広がる中でも、比較的強い状況が続いたのです。ただし、それはリーマン・ショック前までのことでした。以前も書いたように、リーマン・ショックでは、一転して豪ドル/円は米ドル/円をはるかに上回る大暴落となりました。なぜ、リーマン・ショック前後で豪ドルに大変化が起こったのか。それを次回以降で明らかにしていきます。