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つまり、第8話は、これまで今作に向けられてきた“批評する側”が、実際に物語の中へ入ってきたような構造になっていたのだ。「本当にその恋愛でいいの?」「若い彼の未来を奪わないで」「そんな関係、うまくいくわけがない」「この先どうするの?」――視聴者が抱きがちな疑問を、登場人物たちが代わりにぶつけてくる。作品に対する批判を否定するのではなく、その批判そのものを登場人物に言わせてしまったのである。

だからこそ、リアルなのだ。50歳を目前にした女性が、20歳年下の男性と恋愛する。それが現実に身近な出来事として起きたなら、周囲が何も言わないほうがむしろ不自然だろう。「本当に大丈夫?」「騙されてない?」「将来は?」「もっと同年代の人を選んだほうがいいんじゃない?」。誰かしらは、そう言うだろう。そして、言う側にも、それぞれの人生や事情がある。だから、そんな言葉を完全に悪意として切り捨てることもできない。それこそが、大人の恋愛の面倒くささなのだ。

恋愛は理屈ではない。けれど、年齢を重ねれば重ねるほど、その「理屈ではない」ということだけでは突っ走れなくなる。自分の人生だけではなく、相手の人生、家族、友人、仕事、将来…さまざまなものが絡んでくる。だからこそ、本来なくてもいいはずの理屈が、次々と生まれてくる。そして今作は、その「なくてもいいはずの理屈」を、逃げずに描いた。

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もちろん、今作は視聴者を盛り上げるための要素をこれでもかと用意している。嫉妬する友人、元夫からの忠告、子離れできない父親、どれも恋愛ドラマとして見れば、実に作劇的だ。しかし、その“作劇的な面倒くささ”が、50歳と30歳という年齢差の恋愛においては、むしろリアルな障害として機能している。

「そんな恋愛はありえない」と言われる。「将来を考えたらやめたほうがいい」と言われる。「あなたのためを思って言っている」と言われる。それでも、本人たちは好きになってしまった。そして今作は、その恋を成立させるために、都合よく周囲を黙らせるのではなく、あえてその“面倒くさい理屈”を物語の中に登場させたのである。

だから面白い。「恋愛に理屈なんてない」と言いながら、そこに理屈を持ち込んでくる人たちまで描いてしまう。そして、その理屈を一つひとつ乗り越えた先に、それでも残る「好き」という感情を描こうとしている。20歳差という設定も、50歳を目前にしたヒロインという設定も、単なる話題性のためではない。その恋愛だからこそ生まれてしまう、周囲の嫉妬、心配、偏見、正論、そして本人たち自身の迷い。それらすべてをひっくるめて、今作は“大人の恋愛”を描いている。だから、見逃せないのだ。

恋愛は、理屈ではない。けれど、大人の恋愛には、理屈ではないからこそ、理屈が山ほどついてくる。『ラストノート』第8話は、その矛盾こそが恋愛のリアルなのだと、改めて突きつけてくる回であった。

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