内田有紀と寺西拓人がW主演を務めるフジテレビ系ドラマ『ラストノート』(毎週木曜22:00~ ※FOD・TVerで見逃し配信)の第5話が、6日に放送された。
本作は、20歳差という年齢はおろか、育った環境や経験にも大きな隔たりがある“恋をするはずがない/恋するわけにはいかない”男女が惹かれ合う大人のラブストーリー。
第5話で浮かび上がったのは、そんな2人を含めた登場人物たちの、さまざまな「好き」のかたちだった。恋愛そのものに絶対的な価値が置かれなくなり、感情だけでは突っ走れない令和の時代。それでも『ラストノート』は、「好き」というどうしようもない感情を、驚くほど真っすぐに描いている。
恋愛にも“正しさ”が求められる時代
かつて恋愛ドラマが全盛だった時代、恋愛における価値観とは“好きこそが正義”だった。どんな障害や反対があろうと、純粋な「好き」という感情そのものが絶対であり、誰もがその思いに共感し、応援してくれた――そんな時代だったのではないだろうか。
けれど、令和の現代では状況が大きく異なる。そもそも恋愛に重きを置かない生き方が定着し、「恋愛だけが人生のすべてではない」という価値観が当たり前になった。むしろ、感情に任せて恋愛だけに突き進むこと自体が、浅慮と捉えられかねない風潮すらある。
だから現代の恋愛ドラマでは、恋をする心の機微よりも、「その恋愛は正しいのか、倫理的に許されるのか?」という正当性が問われがちだ。昨今、不倫をテーマにしたドラマが増加しているのも、そうした時代の空気を反映しているからだろう。
そこへきて、今作の『ラストノート』である。
今作もまた、恋愛ドラマが成立しにくくなった現代において、多くの視聴者を惹きつけるための工夫が施されている。50代を間近にしたヒロインと30代の青年という年の差の組み合わせ。2人の恋路を阻む友人や父親たちの存在。そこに「香り」というロマンチックな要素を絡めつつ、青年には「元ロマンス詐欺師」というショッキングなギミックまで用意されている。
しかし、これだけ多くの要素が詰め込まれながらも、根底に一貫して流れているのは、このドラマが描く「好き」という感情に対する、どこまでも真っすぐで純粋な姿勢だ。
そして今回は、まさにさまざまな「好き」のかたちが描かれた。
“本物の好き”に気づいた澄晴が求める「恋する資格」
まず目立つのは、誰にも止められない優子(坂井真紀)の暴走する「好き」。叶う見込みのない莉奈(桜井日奈子)の「好き」。そして、未練を残したままの葵(内田有紀)の元夫・創(徳井義実)の「好き」。
一方で、葵自身が抱く「好き」は、まだ芽生えたばかりで正体がつかめない。澄晴(寺西拓人)への恋心なのか、「香り」の謎を追い求める衝動なのか、あるいは年下の青年に対する母性なのか。彼女自身も自分の心がどこに向かっているのか整理しきれていない。
そして今回、最も色濃く描かれたのが、澄晴の「好き」だった。
自分の中に生まれた本物の「好き」に初めて気づいた澄晴。だからこそ彼は、“ロマンス詐欺”という自らの過去を清算し、「誰かを好きになる資格」を得ようと焦燥する。
かつての恋愛ドラマであれば、改心した主人公の「好き」はそれだけで尊重され、過去の過ちもドラマを盛り上げる演出の一つとして消化されていただろう。しかし、令和の現代ではそうはいかない。どれほど一途な思いであっても、過去に後ろめたいものがあれば、相応の「報い」や「手続き」を描くことが求められる。
自分の感情に気づいた瞬間、必死で過去を清算しようとする澄晴の姿は、滑稽でありながらも哀しい。それはそのまま、今の時代における「恋愛のしづらさ」を象徴しているようでもあった。
どんな「好き」にも正当な根拠が求められ、他人に迷惑をかけず、本人の清廉さまで問われる現代。「好き」という感情に不可欠だったはずの、抑えきれない衝動や愚かさすら否定されてしまう。だからこそ今作は、エンターテインメントとしてのロマンチックなおとぎ話を見せつつも、その裏でどうしようもない「現代のリアル」を突きつけてくるのだ。
「好きならば、それでいいじゃないか!」と言いたくもなるが、そう単純にはいかない。
だからといって小難しい恋愛論を突きつけられているわけでもない。年の差、香り、過去のロマンス詐欺、すれ違う男女、そしてそれぞれの「好き」が絡み合っていく物語を、なんだかんだワクワクしながら見てしまう。やはり『ラストノート』は、恋愛ドラマであり、ちゃんとしたエンターテインメントなのだ。




