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今回は前回に引き続き、1582(天正10)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは織田信長(小栗旬)という主柱を失い、明智光秀(要潤)に翻弄される織田軍の姿が挙げられる。史実では織田軍約20,000~40,000に対して明智軍は約10,000~16,000だったとされている。戦力では圧倒的に優位に立つ織田軍だったが、戦う前から仲間内で小競り合いが絶えず、黒田官兵衛(倉悠貴)の策もなかなか聞き入れられない。丹羽長秀の一言でなんとかまとまったように見えたが、織田信雄(山脇辰哉)に先んじようと功を焦った織田信孝の命で戦闘が開始された。

SNSでは「信孝さまも無能では無いんだろうけど、織田ひいては天下を背負えるかと言えば微妙だね」「寄せあつめなだけじゃなくてみんな我が強すぎる。信長じゃないとまとめられないな」「高山右近と中川清秀が疑われるのは仕方ないな」と足並みのそろわない織田軍に視聴者のコメントが集まった。

山崎の戦いは、1582(天正10)年、現在の京都府大山崎町から大阪府島本町一帯で行われた合戦。戦いは半日ほどで決着し、明智軍は総崩れとなった。作中では名だたる武将が多数顔をそろえた織田軍に対して明智軍には斎藤利三(内藤剛志)しか姿が見えなかったが、史実では明智光秀のもとにも数多くの有力な武将が仕えていた。斎藤利三とともに明智五宿老に数えられた明智秀満、明智光忠、藤田行政、溝尾茂朝が特に有名だ。

秀満は光秀の従弟といわれており、琵琶湖を馬に乗って渡った「明智左馬助の湖水渡り」という伝説の持ち主。光忠も秀満と同じく、光秀の従弟といわれており本能寺の変当日、信長の嫡男・織田信忠(小関裕太)が立てこもる二条御所攻撃の中心となった。藤田行政は本能寺の変の後、大和郡山城主・筒井順慶(永沼伊久也)に明智軍に味方するよう説得に向かったがかなわなかった。この順慶の日和見な態度から洞ヶ峠を決め込むということわざが生まれたといわれている。溝尾茂朝は山崎の戦いで明智軍が敗れると、光秀とともに坂本城を目指して落ち延びた。

しかし小栗栖で落ち武者狩りに襲われ重傷を負った光秀から介錯を命じられ、役目を果たしたとされている。他には阿閉貞征・貞大父子がいた。2人はもともと浅井家の家臣だったが、浅井家滅亡後、秀吉(池松壮亮)の与力となる。しかし本能寺の変が起きると光秀に味方し、秀吉の居城・長浜城を占拠した。ちなみに1573(天正元)年に小谷城の戦いで浅井家が滅んだあと浪人となった藤堂高虎(佳久創)が一時貞征に仕えていた。

羽柴秀吉、明智光秀を茶会に招く

次に、敗走する光秀を捕らえ、2人きりで茶会を催した秀吉が挙げられる。どうしても光秀の真意を確かめたかった秀吉は、家臣団に胸の内を明かした。秀吉の思いを汲み取った家臣団は軍師・黒田官兵衛の策により光秀の生け捕りに成功する。秀吉に謀反の理由を問われた光秀は、かつての旧主・足利義昭(尾上右近)への忠誠心からだと答えた。秀吉にとって信長がそうだったように、光秀にとっては義昭こそが真の主君だった。

SNSでは「秀吉もまた、自分と同じくただひとりの相手に惚れこんでいると分かっているから、ここで光秀も本心を言えたんだろうな」「結局はこの2人、似た者同士だったんだな」と2人のやりとりに注目が集まった。

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羽柴秀吉、織田信長の思いを継いで覚醒する

最後に嫡男・羽柴与一郎を失い悲しみに暮れる小一郎に、信長の思いを継ぐと宣言した秀吉が挙げられる。小一郎は百姓時代の友人だった信吉(若林時英)、想い人だった直(白石聖)に続いてまた大切な人を失った。間違った世を変えるために侍になったにもかかわらず、何も変えられていない現実に絶望する小一郎。そんな弟に秀吉は自分が信長の後を継ぐと告げる。

信長がいなくなり、光秀の本心を知り、甥である与一郎を失った秀吉は、姉であるあさひが驚くほど雰囲気が変わった。笑みも浮かべず、硬い表情を崩さないそのたたずまいはどこか信長に似たものがあった。SNSでは「信長を失い、光秀の本心を聞いて、さらに弟の涙で覚悟が決まってしまったんだな」「今まで笑顔ばっかりだった秀吉が全然笑わなくなったのがすごい怖い」と秀吉の変わり様が話題となった。

9日に放送される第30話「清須会議」では、織田信長の跡を継ぐ決意を固めた秀吉が、信長の後継者としてわずか3歳の信長の嫡孫・三法師を擁立する。織田家の跡目を巡り、織田信雄(山脇辰哉)か織田信孝(結木滉星)のどちらを立てるべきかで家中が揺れる中、柴田勝家(山口馬木也)と市(宮崎あおい)の関係にも大きな転機が訪れる。

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