2000年代半ば以降に各地で増えた観光列車群が転機を迎えている。車両の老朽化に直面し、新車両で継続するか、それとも運行終了か。南海電鉄の答えは「継続」だった。観光列車「天空」の存続を決め、新たに「GRAN 天空」の運行を開始した。デビュー後の人気も上々。高野山観光の将来性や、なにわ筋線の開業も含め、成功を期待できる条件はそろっている。
「GRAN 天空」は先代の「天空」の良さをすべて引き継ぎ、足りないところを補った。単なる観光列車の更新ではない。南海電鉄が高野山観光とインバウンド需要をいかにして取り込むか、その戦略も見えてくる。
良いところとしては、高野線の景観に特化した座席配置が挙げられる。高野線の山岳区間である橋本~極楽橋間を走る途中、景色の見どころはほぼ進行方向右側にある。線路がつねに紀の川、丹生川(にゅうがわ)、不動谷川の右岸にあるためで、極楽橋行において進行方向右側の車窓は谷を見下ろす一方、進行方向左側の車窓は山肌でふさがれている。
「天空」の座席も谷側の風景に特化し、山肌側に背を向けたロングシートタイプの「ワンビュー座席」が最も多かった。山肌側の座席は座面を高くし、谷側の席越しに風景を眺める配置になっていた。他に4人掛けのボックスタイプなどもあったが、コンセプトは「谷の風景を眺める」であり、これは「GRAN 天空」の2号車と4号車に引き継がれている。
「天空」の指定席は2両編成で68席だった。一方、「GRAN 天空」の指定席は4両編成で70席。車両の数は2倍になったが、定員は2名しか増えていない。3号車「ロビーラウンジ」も含めて、「GRAN 天空」がゆったりとした贅沢な空間になったことが数字でもわかる。
「GRAN 天空」を難波駅発着で運行する意味
「天空」は良い列車だったが、足りないところもあったと感じる。たとえば「運行区間」「供食サービス」「予約システム」などが挙げられる。
「GRAN 天空」は難波駅発着で運転される。先代の「天空」は橋本~極楽橋間を約40分で走ったが、乗車時間が短くて「もう少し長く乗っていたい」と思ったし、大阪都心から高野山に出かけるときに「橋本駅乗り換え」は少し面倒だった。直行するなら特急「こうや」が便利で、難波~橋本間の特急「りんかん」は「天空」と接続していなかった。橋本駅に専用の待合室があるわけでもなく、吹きさらしのホームで待つ必要があった。
難波駅発着はこうした問題を解決した。難波~極楽橋(高野山)間の輸送サービスメニューといえば、これまで「特急こうや」「特急りんかんで橋本駅乗り換え」「快速急行で橋本駅乗り換え」「急行極楽橋行」などだった。ここに「GRAN 天空」が加わった。
難波駅発着としたことで、「天空」のサービス区間拡大だけではなく、特急「こうや」の上級版という見方もできる。その需要はどこから来るかというと、新大阪駅や関西国際空港になるだろう。なにわ筋線が開業(2031年春の予定)すると、南海電鉄の電車も乗り入れる。ダイヤは未定だが、南海電鉄・JR西日本ともに新大阪駅・大阪駅から関空方面へ特急列車を走らせる。南海電鉄にとって、なにわ筋線は「高野山観光」の面でも有利に働く。
いまのところ、なにわ筋線と南海高野線を直通する列車の計画はないものの、なにわ筋線で新大阪~新今宮間を利用すれば、新今宮駅で「GRAN 天空」や特急「こうや」に乗り換えられる。これだけでも東海道・山陽新幹線から高野山方面のアクセスが便利になる。関空方面と高野山方面のアクセスは直行バスが安くて早いが、現在は運休中のため、関空特急「ラピート」から特急「こうや」または「GRAN 天空」への乗継ぎは魅力的だろう。
高野山は2004年のユネスコ世界文化遺産登録をきっかけに訪日観光客が増えている。2019年の訪日外国人宿泊客は1万5,000人を超え、2024年には外国人観光客も10万人を超えたという。高野山はホテル並みの設備を整えた恵光院宿坊を開設して訪日観光客を受け入れ、富裕層向けに1人1泊10万円のスイートルームも設置している。京都と高野山を上空から観光できるヘリコプターツアーも行われている。
南海電鉄の「約100年ぶり」供食サービスも話題に
南海電鉄としても、こうしたハイクラスの観光客の存在は見過ごせない。それが「GRAN 天空」の4号車「グランシート」「グランシートプラス」につながっている。4人掛けのソファ席で、食事とフリードリンク、またはワンドリンクサービスを選択できる。下り「GRAN 天空1号」はモーニングメニュー、上り「GRAN 天空2号」と下り「GRAN 天空3号」はランチメニュー、上り「GRAN 天空4号」はアフタヌーンティーメニューを提供。4人掛けシートは2名以上から予約でき、人数によって料金が変動するが、おおむね1人あたり1万円前後となる。
一部報道で、南海電鉄の供食サービスは約100年ぶりと紹介されていた。南海電鉄は私鉄食堂車のさきがけとなる鉄道会社のひとつだった。日本の鉄道で最初の食堂車は、山陽鉄道が1899(明治32)年に始めた。「南海電気鉄道百年史」によると、南海鉄道(当時)はその7年後、1906(明治39)年から難波~和歌山市間の急行列車「浪花号」に食堂付き1等車を連結したという。当時は蒸気機関車牽引の客車列車だった。
1912(大正元)年12月発行の「工業之大日本」を見ると、当時の食堂車のメニューは「肉澄汁15銭、鶏汁15銭、鯛のフライ・蒸煮・バター焼20銭、オムレツ・煮物20銭、牛の香肉焼・ビーフステーキ25銭、コーヒー・紅茶5銭、ココア10銭」などであったと紹介されている。当時の1銭は現在の300円くらいの価値という説もあり、かなり高級なレストランといえる。この列車は文豪・夏目漱石も乗車した。漱石は日記で、「南海鉄道が貸切り列車を提供してくれた」と記している。その取材は小説『行人』で生かされている。
客車の食堂車は1911(明治44)年の全線電化に合わせて廃止されたが、1924(大正13)年の電車急行運転開始で喫茶室が復活した。このときは1皿25銭だったという。電車による食堂車としてはかなり早い時期の事例と思われるが、1929(昭和4)年8月に廃止されてしまった。列車の高速化と輸送力増強の要望が強まったからだった。
国鉄の食堂車は「長距離運行列車で乗客を飢えさせないため」という意味合いが強かった。これに対し、南海電鉄の食堂車は高級感を出していた。和歌山港と四国を結ぶ航路と連絡する特急列車がリゾート向けの性格を持っていたことに加え、ライバルの阪和電気鉄道(現・JR阪和線)にサービスで対抗するためでもあったと考えられる。
「GRAN 天空」は本線ではなく高野線の観光列車だが、食事サービスについては97年前の豪華さを取り戻したと言えるかもしれない。
「天空」からの最大の改善点は「ネット予約システム」
「天空」から「GRAN 天空」になって、最も大きな改善点は「ネット予約システム」の採用ではないかと思う。そんなことは当たり前だと言われるかもしれないが、先代の「天空」にはネット予約システムがなく、少人数の予約申込みは電話受付、団体予約申込みはFAX受付だった。しかも、列車を予約できても座席の指定はできない。つまり定員制の列車だった。橋本駅または極楽橋駅に集合した際に座席が割り当てられた。
ただし、その采配は見事で、2人連れは運転席向きの眺望を楽しめるシート、4人家族はボックスシート、それ以外は「ワンビュー座席」を割り当てられていた。希望があれば調整したかもしれないが、筆者が乗ったときは不満の声が聞こえなかった。車内を見回すと、乗客は期待した席にきれいに割り当てられたという印象だった。
これは筆者の想像だが、南海電鉄は「天空」に対して大きなコストをかけたくなかったのではないか。第一線から退いた車両を改造して安上がりに作るケースなら、他社の観光列車でも事例がある。しかし、指定席予約システムにまで投資するほどではなかった。座席数も少なく、指定席券は520円だから、大きな儲けは出ない枠組みといえる。団体ツアー列車のように、当日の乗車前に担当者が座席を割り当てればよい。担当者の配席技術も高かった。
しかし乗客側としては、あらかじめ座席を指定できたほうがより安心だろう。そこで「GRAN 天空」へのリニューアルを機に、指定席予約システムを整備した。現在、公式サイトは日本語、英語の他に韓国語、簡体中文(大陸)、繁体中文(香港・台湾)で閲覧できる。訪日観光客を強く意識した列車だとわかる。
「GRAN 天空」の予約システムは、30日後までの全体的な空席状況を把握した後で、乗りたい便と座席と乗車日を選ぶしくみになっている。1号車「リラックスシート」でシートマップから席を選ぶとき、窓のない席が明示されている。「GRAN 天空」の車両は通勤電車を改造したため、構造上、「窓なし席」があることは仕方ないが、あらかじめ知らせてくれることは親切だ。2号車と4号車も、座席と窓位置がすべて同じではない。予約サイトの座席図をよく見ると、窓の位置もわかるようになっている。もっと大きく表示したら見やすいし、窓位置はシートマップに反映してほしい。もっとも、これはJR各社などにも言えることだが。
実際に予約操作を行ってみると、「リラックスシート」と「ワイドビューシート」の操作手順が気になった。乗降駅の指定、利用日の指定に続いて空席状況が表示され、希望の号車を選択する。区間選択の画面になり、予約手続きを選択すると、また乗車日を選択する必要がある。最初に選択した乗車日が反映されない。改めて希望日を選べばいいのだが、二度手間に思えてしまい、今後改善する必要があるように感じた。ともあれ、オンラインで予約できるようになったことは喜ばしい。
終端観光地を自社で開発できない葛藤と幸運
小田急電鉄の箱根・江の島、東武鉄道の日光・鬼怒川は、いずれも鉄道と観光地を一体的に開発できた。一方、高野山は南海電鉄の資産ではない。南海電鉄にとって高野線は「参詣鉄道」であり、「観光路線」ではなかった。そのため高野線の観光路線化は遠慮がちだったかもしれない。その意味で、初代「天空」は高野線を観光路線化する試金石だったといえる。
「天空」が登場した頃、中古車両をリフォームした観光列車が各地で誕生した。2004年にJR九州が「いさぶろう・しんぺい」「はやとの風」、2005年にJR西日本が「瀬戸内マリンビュー」を登場させた。2006~2009年に和歌山電鐵で「いちごでんしゃ」「おもちゃでんしゃ」「たまでんしゃ」が登場。富士急行(現・富士山麓電気鉄道)は2007年に「トーマスランド号」、2009年に「富士登山電車」の運行を開始している。
こうした流れの中で、2009年に定期運行を開始した「天空」は、内装だけでなく、車両の一部をオープンデッキにするなど、意欲作といえる車両だった。ここから高野線で観光開発の模索が始まる。試金石だった「天空」は人気を博し、高野山の人気が高まった。2019年、高野山ケーブルカーが新車両に変わり、高野線の高野下駅に駅舎ホテル「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道」(現「The Railway Hotel 高野山 参詣鉄道」)がオープンした。
南海電鉄にとって、高野山が観光、とくに訪日観光客に対して積極的だったことは幸運だったといえる。それはひとえに「多くの人々に弘法大師、空海様の教えを学んでいただく。真言宗の教えを広めたい」からだという。宗教的な布教よりも、「空海様のファンを増やしたい」との思いが強い。だからこそ訪日観光客を積極的に受け入れた。南海電鉄も、アクセス路線である高野線の魅力向上と整備拡充に注力できた。
先代の「天空」は好評で、登場から17年も存続した。改造のベースとなった2200系は、1970年に22000系として製造された車両であり、2回の改造を受けて50年以上も走った。政府の省エネ基準を満たさない抵抗制御車で、そろそろ限界だったかもしれない。しかし「天空」が築いた高野山への参詣観光ルートを絶やすべきではない。
そこで、1990年製の2000系を新たに改造し、「GRAN 天空」が誕生した。制御装置を改造前のGTO型VVVFインバータからIGBT型VVVFインバータに換装して省エネ基準をクリア。最高速度は110km/hとなり、先代の「天空」より10km/h高速化した。これも難波駅乗入れが可能になった理由だろう。その勢いで新大阪駅まで乗り入れたら、もっと便利になると思う。
高野山と連携し、新大阪駅や関西国際空港から訪日観光客を連れてくる。参詣鉄道の新たな形を「GRAN 天空」が担うことになるだろう。




