テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、7日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第47話「饅頭(まんじゅう)こわい」の視聴分析をまとめた。

  • 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第47話より (C)NHK

    『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第47話より (C)NHK

冷えた眼差しで治済を見据える重好

最も注目されたのは20時31分で、注目度76.9%。ラスボス・一橋治済(生田斗真)が罠に落ちるシーンだ。

「奥方には年、金3000両と米500表。そのかわり家督は余の弟に継がせたい」将軍・家斉(城桧吏)とその実父・徳川治済は清水家の家督の相談という名目で清水家の茶室を訪れていた。「家名を残していただけること、まことにありがたく。では、一服お点ていたします。どうぞ」重好(落合モトキ)は茶を点て、茶菓子をすすめる。しかし治済はその茶菓子を鋭い視線で睨みつけていた。

茶室の隣の部屋では、松平定信(井上祐貴)、長谷川平蔵宣以(中村隼人)、柴野栗山(嶋田久作)、斎藤十郎兵衛(生田斗真)が息をひそめ状況をうかがっている。家斉は茶菓子を手に取り、平然と口へ運んだ。うまそうに食べる家斉を治済は硬い表情で見つめ続ける。「あの、お食べにならぬので?」家斉が涼しい顔で問いかける。治済は警戒を緩めず自分の分も家斉へ差し出した。家斉は平然と食べ続ける。食べ終わった家斉に別段変わった様子はない。「どうぞ」重好は点てた茶をすすめる。家斉は特に動じることもなく茶碗に手を伸ばし、茶を口に運ぶ。治済は警戒を緩めず家斉の挙動を凝視するが、やはり変わった様子はない。

「では」家斉から無言で茶碗を渡されると、治済もついに茶を飲んだ。「まこと、結構なお点前で」すると、治済が言い終わると同時に家斉が突っ伏した。「まさか、まさかもろともに!?」みるみるうちに治済の顔色が変わる。重好は冷えた眼差しで治済を見据えてた。「うう…おのれ!」よろめきながら立ち上がるが、その場に崩れ落ちる治済であった。

  • 『べらぼう』第47話の毎分注視データ推移

    『べらぼう』第47話の毎分注視データ推移

「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて」

注目された理由は、非道を尽くした治済が、実子・家斉にしてやられる展開に視聴者の注目が集まったと考えられる。

これまで暗躍してきた治済についに鉄槌が下りた。前回、定信の仕掛けた罠を見破り逆に毒饅頭で追いつめた治済だったが、将軍・家斉の身体を張った罠により、ついに捕えられる。警戒を怠らず、茶菓子にも口をつけない用心深さを見せたが、罠はお茶に仕掛けられていた。

SNSでは「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて、さすが白天狗恐ろしいな」「上様もどうなるか分からないのに、土壇場にきて覚悟決まったな」「治済でも将軍まで巻き込んでくるとは思いつかなかったんだな」と、治済と家斉のヒリつくやりとりが話題になった。

清水重好は1745(延享2)年に、江戸幕府第九代将軍・徳川家重の次男として江戸城西ノ丸で生まれた。1758(宝暦8)年に江戸城内の清水邸へ移り、1759(宝暦9)年、15歳になると元服して万次郎から重好と名を改めた。1792(寛政4)年に朝廷から権中納言の官位を受け、そのとき姓を清水に改めこれが分家である御三卿の一つである清水徳川家となった。

重好は1795(寛政7)年に51歳で亡くなるが嫡男がいなかったため、領地は幕府に没収された。作中では家斉の弟が清水家を継ぐ話が出ていたが、史実では1798(寛政10)年に家斉の五男・徳川敦之助が3歳で継いでいる。ちなみに敦之助の母親は作中で治済と昵懇の仲だった薩摩藩第八代藩主・島津重豪(田中幸太朗)の娘・広大院だ。しかし敦之助は翌年に夭折し、腹違いの弟である家斉の七男・徳川斉順が三代目として清水家を継ぐ。斉順は第十四代将軍・徳川家茂の実父だ。