3番目に注目されたシーンは20時40分で、注目度75.6%。松平定信が耕書堂を訪れるシーンだ。

定信は国元へ戻る前に耕書堂を訪れていた。蔦重は定信が公儀の政に戻ると思っていたが、定信は外道とはいえ将軍・徳川家斉の父を罠にかけた自分を罰するつもりでいた。生真面目な定信らしい責任の取り方だ。定信は蔦重に、時折替え玉として城にいる斎藤十郎兵衛に本や絵を届けてなぐさめてほしいと頼み、家斉を引き込んだ蔦重の策を褒めた。「あの、それおっしゃるためにお立ち寄りに?」蔦重は戸惑う。すると、定信は目を泳がせながら口早に言い放つ。「イキチキドコキキテケミキタカカカッタカノコダカ」突然のことに固まる蔦重だったが、それが「一度来てみたかったのだ」という意味だと理解すると驚きの声をあげた。

ぼう然とする蔦重に「『金々先生』よりこちら、黄表紙はもれなく読んでおる。春町(岡山天音)は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う神殿(やしろ)であった。あのことは我が政、唯一の不覚である」と告白する。定信は春町を切腹に追い込んだことをずっと悔いていたのだ。「写楽ってなぁ、春町先生への供養のつもりで取り組んだのでございます」定信の本心を知った蔦重は穏やかに語りかける。「ご一緒できてようございました」と、蔦重が定信に深々と頭を下げた。すると定信はよい品を随時、白河へ送るようにと返す。さらに「抜け目ない商人に千両も取られたゆえ、倹約せねばならぬ」と言い放ち、本を物色する定信を蔦重はあきれながらも笑顔でながめていた。

「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔」

ここは、お茶目な定信に視聴者が「クギづけ」になったと考えられる。

無事に仇討ちを果たした定信は幕政に戻ることなく、白河藩へ戻ることを選び、その道中で初めて耕書堂を訪れた。最初はわだかまりのあった蔦重。しかし、かつて義兄・次郎兵衛(中村蒼)から聞かされた通り、定信は生粋の黄表紙好きだった。春町に心酔しており、耕書堂に憧れていたことも本人の口から語られた。定信の胸中を知ったことで、蔦重もプロジェクト写楽にかけた自分の思いを打ち明ける。2人が和解することで仇討ちのためのプロジェクト写楽は大団円となった。

SNSでは「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔だね」「定信と蔦重が春町先生の話するところで不覚にもうるっときた」「プライドの高い定信くんが素直に内心を吐露して、蔦重も自分にも非があったと素直に認めたのが春町先生への何よりの供養になったと思う」と、憑き物が落ちたような定信に多くのコメントが集まった。

史実では白河藩へ戻った定信は、藩主として藩政に専念し経済振興のためにキセル製造、薬草・煙草栽培の奨励、たたら製鉄設備の新設などを行う。また、藩校「立教館」を設立し、藩士や庶民の学問を推進するなど教育にも力を注いだ。また、1801(享和元)年には武士も庶民も身分の区別なく楽しめる場所という「士民共楽」の理念のもと、公園兼貯水池「南湖」を竣工する。江戸白河藩中屋敷に約1万7千坪の「浴恩園」という庭園を築いていたが、「南湖」は約13万坪という「浴恩園」の約7倍の広大なものだった。現在は「南湖公園」として国の史跡および名勝に指定されている。

他にも江戸の町で働くさまざまな職人や商人を紹介する『近世職人尽絵詞』という3巻の本を1806(文化3)年頃に刊行している。絵を担当したのは鍬形蕙斎。北尾政美(高島豪志)の別号だ。詞書(説明文)は上巻を大田南畝、中巻を朋誠堂喜三二、下巻を山東京伝が担当した。寛政の改革のことを考えるとなかなか厚かましい話だ。