テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、2日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第42話「招かれざる客」の視聴分析をまとめた。

  • (左から)橋本愛、横浜流星=『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第42話より (C)NHK

    (左から)橋本愛、横浜流星=『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第42話より (C)NHK

「もう動き出しやがったか! このべらぼうめ!」

最も注目されたのは20時41分で、注目度70.9%。てい(橋本愛)のお腹の子が初めて動いたシーンだ。

「よいしょ」夜が更けた耕書堂で、蔦重(横浜流星)は布団を敷いて就寝の支度をしていた。ていの懐妊がわかって以来、蔦重は率先してていの身の回りの世話を焼くようになっていた。ていは、文机の前で静かに本に目を通していたが、突然顔をあげて蔦重を手招きする。「おい! どうした?」蔦重は、手に持った寝具を投げ捨て、慌ててていに駆け寄ると「今…動いたような」とていが言った。「もう動き出しやがったか! このべらぼうめ! ははは」それを聞いた蔦重は、満面の笑みでわが子に話しかけた。

喜多川歌麿(染谷将太)が吉原の仕事を承諾してくれたことで、耕書堂はなんとか借金返済の見通しを立てることができている。その上、あきらめかけていた子供まで授かった。蔦重は今、落ち着きつつある暮らしの中で、そっと幸せを噛み締めていた。

  • 『べらぼう』第42話の毎分注視データ推移

    『べらぼう』第42話の毎分注視データ推移

「蔦重を声にならない声で呼ぶ場面にグッときた」

注目された理由は、出産を控えた蔦重・てい夫妻に、視聴者の注目が集まったと考えられる。

蔦重とていが結婚したのは、耕書堂が日本橋に進出した年なので、1783(天明3)年だった。すでに10年の月日が流れている。本の出版や店の経営方針を巡って意見が対立することはあったが、夫婦仲は良好なようだ。蔦重はあきらめていたようだったが、ようやく授かった子宝を大いに喜び、ていにいたわりをもって接していた。頭を悩ませていた吉原への借金と返す目途が立ち、ようやく人心地ついたのではないだろうか。

SNSでは「蔦重がおていさんにだけ見せる優しい顔と声色が本当に好き」「蔦重とおていさんが2人とも生まれくる子供がつよさんの生まれ変わりと思っていたのがステキ」「おていさんから見たら、高齢出産の不安もある中、蔦重が気を配ってくれるの嬉しかっただろうね」「いつも冷静なおていさんが胎動を始めて感じて、蔦重を声にならない声で呼ぶ場面にグッときた」と、仲睦まじいふたりが話題となった。

史実では、ていについては明らかになっていないが、1786(天明6)年に蔦重が出版した3巻セットの狂歌絵本『絵本吾妻抉(えほんあずまからげ)』に、蔦重と妻、嫡男らしき人物が描かれている。画は北尾重政(橋本淳)だ。蔦屋重三郎の菩提寺である東京の浅草にある誠向山正法寺には、妻と思われる「錬心妙貞日義信女」という戒名が記録されており、ていという名は戒名の「貞」から取られていると考えられている。彼女は1825(文政8)年に亡くなったと記されている。