3番目に注目されたシーンは20時26分で、注目度70.5%。ていが蔦重に、子を授かったことを告白するシーンだ。

夜が更けた耕書堂で、ていが指南書を片手に蔦重に按摩をしていた。2人の話題は喜多川歌麿の美人画だ。この絵は蔦重にとっては商いの品だが、歌麿にとっては子のようなものだろうとていは言う。蔦重としても思い入れはあるのだが、江戸市中の景気が上向きつつある今、とにかく売り出すことが最優先だと考えている。

そんな時、急にていは手を止め、自身の頭をおさえた。その顔は苦痛にゆがんでいる。異変に気づいた蔦重は「おい、頭痛えのか?」と身を乗り出す。ていは大したことはないと答えるが、母・つよ(高岡早紀)を失ったばかりの蔦重は不安を隠せない。医者に診てもらうように勧める蔦重だか、ていはすでに医者からは大事ないと言われているようだ。怪訝に思う蔦重にていは向きなおると、「旦那様。決して騒がぬとお約束くださいますか?」とまっすぐな眼差しを蔦重に浴びせた。とまどう蔦重は「おう」と一言発するしかできなかった。

「子ができたのでございます」ていの言葉に蔦重は面食らった。ていはこれまでのいきさつを話す。「何で言ってくんねえんだよ」と言う蔦重の表情と声には、安堵と喜びが入り混じっていた。ていは蔦重が仕事の気を散らすのではないかと思い、また孫がいてもおかしくもない年で身ごもったのが恥ずかしかったと答える。ていの身を案じる蔦重に、ていはたか(島本須美)やみの吉(中川翼)にはそれとなく伝えているので心配ないと返した。

「あのよぉ…いや、やっぱいいや」「私も、この子は義母上様の生まれ変わりと信じております」蔦重とていの想いは同じのようだ。ていの言葉に蔦重は「おい、ババアっこ。この世にゃあ山ほど楽しいことあっから元気に出てこいよ」とていの腹に向かって声をかけた。つよと入れ違いでこの世に現れたわが子の存在は、2人にとってかけがえのないものであった。

「つよさん、もう少し長生きしたら…」

ここは、苦難を乗り越え、本当の夫婦となりつつある蔦重・てい夫妻に、視聴者の視線が集まったと考えられる。

蔦重とていの間では、これまで子どもの話題が出ることはなかった。しかしていは、かつて小田新之助(井之脇海)とふく(小野花梨)の間にとよ坊が生まれた際には、米やとよ坊のためにあつらえた服を蔦重に土産として持たせていた。結婚前にはなじみの寺へ子ども用の赤本を寄付してもいる。ていはもともとは子どもへの思い入れが強かったのではないだろうか。

SNSでは「ここにきておていさんのご懐妊びっくりした!」「あきらめかけていたからか、すでに子煩悩な蔦重が微笑ましいね」「つよさん、もう少し長生きしたら孫の顔が見られたのにおしいな」「最初は利害の一致で結婚したのに、ここまで仲良くなったのは感慨深いな」と、ていの懐妊が祝福されている。

江戸時代の平均的な婚姻年齢は男性が約25歳、女性が約18歳で出産年齢もほぼ同時期だった。今回描かれた1792(寛政4)年時点で蔦重は42歳。ていが同年代だとしたら、作中で語ったようにたしかに孫がいてもおかしくない年齢だ。

当時は自然分娩が一般的だった。出産の難度は現在よりもはるかに高く、生まれたあとも乳幼児の3~4割が5歳までに死亡したと推定されている。最も多い死因が麻疹や天然痘などの感染症で、栄養不良も死亡率を押し上げていた。ていの妊娠を喜ぶ蔦重だが、同時にさまざまな不安が胸中に押し寄せたのではないだろうか。