2番目に注目されたのは20時43~44分で、注目度68.8%。次回予告で平賀源内(安田顕)に不幸が忍びよるシーンだ。

「俺の手柄をぶんどってるからじゃねえですかね!」血の付いた刀を源内が眺めている。「ぶんどられたのは俺の方だ!」源内と田沼意次が激しい口論を繰り広げ、源内が足元に小判をまき散らす。「危うしの七ツ星、そこに現れたるは古き友なる源内軒。これより幕を開けたるはそんな2人の痛快なる敵討ち」源内の口上が響き、屋敷の障子を勢いよく開けて進んでいく。次に源内は牢の中で涙を流している。源内の運命が大きく動こうとしていた。

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「どんどん闇落ちしていくのがツライ」

このシーンは、フラグが立ちまくりの源内に視聴者の関心が集まったと考えられる。

蔦重(横浜流星)に老中・田沼意次を引き合わせたり、『吉原細見』の序文を提供したりと、蔦重にとってかけがえのない恩人である源内だが、いよいよXデーが近づきつつあるようだ。

源内が満を持して世に送り出したエレキテルが、図面を盗んだ弥七(片桐仁)によって粗悪品を広められたばかりでなく、そもそも医療効果がないと評判になり、源内の評価は地に落ちた。荒れた源内は竹光とはいえ市中で刀を振り回し、それを見た蔦重は大変なショックを受ける。SNSでは、「源内さんが、どんどん闇落ちしていくのがツライ」「平賀源内の『何やってんだろうね、俺ゃ』の言葉が胸に刺さる…」「源内先生が本作一番の推しだったけど先週からずっとしんどい」と、源内を憂うコメントが多く集まった。

平賀源内は讃岐・寒川郡志度浦、現在の香川県さぬき市志度の白石家の三男として生まれた。11歳の頃に菅原道真が描かれた天神画を加工し、背面のひもを引っ張ると道真の顔が赤くなるという「お神酒天神」を作成して話題となった。その評判が元で13歳から藩医の元で本草学を学ぶ。1752(宝暦2)年には1年間長崎へ遊学し、本草学のほかにオランダ語、医学、油絵などを学んだと伝わる。1756年(宝暦6)年には江戸に向かい本草学者・田村元雄に弟子入りして本草学の知識を深め、漢学を習得するために林家にも入門している。1757(宝暦7)年には日本で初となる博覧会・博物館の先駆けとなる物産会を発案している。

本草学者としてその名が知られるようになると、1759(宝暦9)年に高松藩に召し抱えられる。しかし、源内自身はこれを仕官とは考えていなかったようである。この頃、高松藩は財政難で苦しんでおり、藩主・松平頼恭は藩の収入を上げるため、源内に薬草の栽培を命じた。源内は1761(宝暦11)年に江戸に戻るため辞職を願い出るが、藩の役目を放棄したとして「奉公構」に処せられる。この頃に田沼意次と出会った。奉公構は元の主君からの許しがない限り、他の武家や公家などに仕官することが禁じられる刑罰。罪を犯して改易されるか、主人の不興を買って出奔した家臣などに課せられた。能力の高さが裏目に出てしまったようだ。