図5:97手目▲5四歩まで

やねうら王の読みが稲葉七段を上回ったのが図5の局面。稲葉七段はここからの△3三歩を「うっかりしていました」と明かす。この歩の直接的な狙いは△3四金から馬を消すこと。▲3三同馬で難なく防げるが、馬の筋をずらすと直前の▲5四歩が無意味となってしまう。▲3三同馬△4八成香に▲4五桂と指した稲葉の手つきを見て「ああ、これは負けをハッキリ意識したんだなと思いました」と語るのは、稲葉七段の兄弟子にして本局の主催観戦記を担当する船江恒平五段だ。以降は、入玉を阻止したやねうら王が稲葉七段の玉を捕まえて本局は終わった。

戻って図5の▲5四歩と打つ手に代えて▲2三歩成ならば、入玉を実現できる可能性はわずかに高かった。しかしそれで先手が勝つ可能性は1%あるかないかだという。少しでも敵玉にアヤをつけなければ見込みがなくなる。直後の見落としはとにかく、わずかな逆転の可能性に賭けた▲5四歩は人間ならではの指し手とも言える。

五稜郭の石碑

函館奉行所内に展示されていたエンフィールド銃

五稜郭という場所にかこつけるわけではないが、入玉に一縷の望みを託して中空を漂う稲葉玉を京都~江戸~函館と流転する土方歳三のように思えなくもなかった。事実、新政府軍との圧倒的戦力差を知りつつも微かな可能性に懸けたのが土方を始めとする函館政府の一員である。

その望みが完全に潰えたのが本局では△3三歩の瞬間であり、函館戦争では軍艦「開陽丸」の沈没であろうか。戦力に劣る函館政府の切り札が当時の最新鋭艦・開陽丸であり、事実この存在が海上戦力においては函館政府>新政府の構図を作っていた。五稜郭タワーには開陽丸の沈没を呆然と見守る土方のジオラマが展示されている。戦いの終焉を感じ取る稲葉七段もあるいはこうだったのかもしれない。

終局後の記者会見の様子

かくして団体戦はプロ棋士の2勝1敗という状況に。本人の実力に加えて事前研究の深さからも「まさか稲葉七段が負けるとは」という思いに包まれたことは想像に難くない。逆に言うとやねうら王の実力を改めて世間に知らしめた一局ということになる。

磯崎氏は今後の目的として「事前研究をされてもそれを打ち破る対策」の開発を挙げた。そして、終局後に公開された第4局のプロモーションビデオでは「最新のponanzaはすでに羽生さん(善治名人)を超えていると思いますけどね」と語っている。

やねうら王の1勝でプロ棋士の勝ち越しに待ったがかかり、さらに磯崎氏の言葉を真に受ければ残る第4局、第5局はプロ側にとってかなり厳しいものとなるに違いない。

事実、今回の参加ソフトではponanzaとAWAKEが2強とされ、他の3ソフトとの実力差がかなり大きいという。磯崎氏の言葉はfloodgate(インターネット上でソフト同士を戦わせるプログラム)や将棋倶楽部24(インターネット上の将棋対戦サイト)などのレーティングを比較してのものだ。

「レーティングの数字遊びに意味はない」と主張される方もいるだろう。実際に超えているかどうかは数多くの対局を繰り返さないことにはわからない。「(羽生とソフトの)どちらが強いか、ということに関してだけなら興味はありますけどね」と言ったのは第4局でponanzaと戦う村山慈明七段である。

だが「羽生対ソフトの実現を許してはならない」と最も強く考えているのも今回の5人かもしれない。事実、第2局を戦った永瀬は「羽生先生が指すほどの相手ではないと思います。指せば勝つでしょう。しかし羽生先生が出るしかないという状況になるのは不名誉なことだと思います」と語っている。

人間の真価が問われる第4局、第5局。対局の内容は楽しみだが、「プロ棋士に勝ってほしい」とこれほどまでに望まれそうな対局は電王戦史上でも稀であると思う。中立の立場にあるべき取材者としてこのようなことを主張するのがタブーであるのは百も承知だが、それでもあえて言いたい。

「村山七段、阿久津八段、勝ってくれ」
と。

将棋電王戦FINAL 観戦記
第1局 斎藤慎太郎五段 対 Apery - 反撃の狼煙とAperyの誤算
第2局 永瀬拓矢六段 対 Selene - 努力の矛先、永瀬六段の才知
第3局 稲葉陽七段 対 やねうら王 - 入玉も届かず、対ソフト戦の心理
第4局 村山慈明七段 対 ponanza - 定跡とは何か、ponanzaが示した可能性
第3回将棋電王戦 観戦記
第1局 菅井竜也五段 対 習甦 - 菅井五段の誤算は"イメージと事実の差
第2局 佐藤紳哉六段 対 やねうら王 - 罠をかいくぐり最後に生き残ったのはどちらか
第3局 豊島将之七段 対 YSS - 人間が勝つ鍵はどこにあるか
第4局 森下卓九段 対 ツツカナ - 森下九段とツツカナが創り出したもの
第5局 屋敷伸之九段 対 Ponanza - 屋敷九段とPonanzaが一致していた読み筋
第2回将棋電王戦 観戦記
第1局 阿部光瑠四段 対 習甦 - 若き天才棋士が見せた"戦いの理想形"とコンピュータの悪手
第2局 佐藤慎一四段 対 Ponanza - 進化の壁を越えたコンピュータが歴史に新たな1ページを刻む
第3局 船江恒平五段 対 ツツカナ - 逆転に次ぐ逆転と「△6六銀」の謎
第4局 塚田泰明九段 対 Puella α - 泥にまみれた塚田九段が譲れなかったもの
第5局 三浦弘行八段 対 GPS将棋 - コンピュータは"生きた定跡"を創り出したか?