「優秀なアナウンサーとは」というテーマにも、さまざまな声が飛び交った。

「人柄がいいだけでなく、テレビのことを考えている」などの姿勢に関することから、「原稿(台本)にないところを埋められる」などの技術的なところ、「ちょっと意地悪やイタズラ心が大事。『○○だけどいい人』のような」などの個性まで、それぞれの理想像があるのだろう。

ただ彼らに共通しているのは、「アナウンサーは主役ではない」「AIにはない体温のようなものを伝えることも大切」という意識。報道ならニュース、バラエティならタレントが主役であることを自覚しているし、感情を抑制しながらも自分の人間性を感じてもらおうとしている様子が伝わってきた。

今回の6人は別の組織に所属しているが、局の垣根をほとんど感じなかったのは、「ライバルではなく同志」という感覚を共有しているからではないか。例えば、水卜アナの『ZIP!』と安住アナの『THE TIME,』は同じ時間帯に放送されているが、視聴率を争っていても両者の間にヒリヒリとしたムードは全く感じられなかった。それどころか、互いの仕事をリスペクトしてエールを送り合っているという。

特に東日本大震災が発生して以降、勝ち負けやライバル関係より、勝ち負けにこだわらず互いを尊重し合う関係性を人々が好むようになった。その意味で水卜アナと安住アナの関係性は令和を生きるアナウンサーの理想形なのかもしれない。

また、彼らにとって報道で非常事態に向き合う覚悟を持つことは、優秀かどうかの基準ではなく、当然である様子がうかがえた。「事実を伝えることに徹し、臆測や感情は乗せない」「つらい事実を伝えるときは絶対に泣かない」「現場に足を運んでこそ伝えられる言葉がある」などの姿勢は、アナウンサーを務める上で最低限のことなのだろう。

  • 司会を務めた加藤浩次

■「表に出ている制作者」の心意気

今後のアナウンサー像を考える上で興味深かったのは、「伝説の名場面&名フレーズ」というコーナー。

まず歴史に残るフレーズとして、1984年の『NHK紅白歌合戦』で鈴木健二アナの「私に1分時間をください」が挙げられた。続いてピックアップされたのは、約30秒にわたるまさかの沈黙。1993年のサッカーワールドカップアジア最終予選 日本VSイラク戦の「ドーハの悲劇」を実況したテレビ東京の久保田光彦アナがロスタイムのゴールが決まった瞬間から沈黙したシーンが紹介された。

鈴木アナの「あえて出しゃばる」、久保田アナの「思わず沈黙」という対照的な対応から、両極端な臨機応変が求められるアナウンサーという職業の難しさが伝わってくる。視聴者の心境に寄り添えるのなら、あえて出しゃばるし、言葉が陳腐になりそうなときは潔く沈黙してしまう。このような前例のないほどの緩急はAIアナにとって難しいものだけに、今後はアナウンサーの資質となっていくのかもしれない。

番組終盤、「テレビとアナウンサーの未来」というテーマで水卜アナは、「バラエティでも報道でもどんな仕事でも、『テレビが面白くなるためのものだったら何でもアナウンサーの仕事に入る』と思っているんですよ」「“表に出ている制作者”のような感じだから、『アナウンサーのくせにこれやるな』はテレビマンである以上当てはまらない」と言い切っていた。

出演者の1人である以上、何をしても多少の批判は受けるのが当然の時代になっただけに、萎縮してばかりではいられないだろう。今後のアナウンサーには、「どんな番組のどんな役割で出演したとしても、水卜アナのような心意気で全力を尽くせるかどうか」が問われていくのではないか。

最後に『アナテレビ』で1点だけ物足りなさを感じたところを挙げておこう。エースアナたちが本音で語っていただけに触れてほしかったのが、「アナウンサーの見た目や年齢がフィーチャーされること」の是非。このところルッキズムやエイジハラスメントが批判される機会が増えたが、アナウンサーに対する美ぼうや若さのニーズがなくなったわけではないだけに、まだまだ資質の1つとなっていくだろう。