本連載の第39回では「顧客によって要望が異なるから標準化は無理って本当?」と題し、「顧客の要望の多様性」を言い訳にして標準化に反対された際の対応の仕方についてお伝えしました。本稿では、新しい取り組みについて「前例や事例がないから」といって却下されそうになった際の立ち回り方についてお伝えします。

生産性向上に限りませんが、先進的なツールや勤務制度の導入、業務プロセスや組織の抜本的な見直しなどの新しい取り組みを検討する際、保守的な人が「そういうことは前例がないからダメだ」とか「他社の事例がないなら様子見でよいのではないか」と言って却下、もしくは保留しようとするケースを目にすることがあります。

しかしながら、その取り組みに実行する価値があるとわかっているのであれば、このような反発に臆することなく積極果敢に取り組みを推進していかなければなりません。そこで、前例や事例を盾にした反論の問題点を明らかにしたうえで、冷静かつ客観的に前に進めるために取るべき行動をお伝えします。

前例や事例を基にした反発の問題点とは

先ほどは新しい取り組みへの「前例がない」と「事例がない」という反発を同列で扱いましたが、この2つのうちで「前例がない」の方がより深刻な問題と言えます。なぜならば、「前例がないことはやらない」というスタンスに立ってしまうと、社内で今までにやったことがないことは、たとえどんなに重要でも一切やらないということになってしまうからです。

このご時世、新しいことに挑戦し続けなければ会社の成長は望むべくもないですが、それ以上に深刻なのは会社の存続すら危うくなってしまうことです。少子高齢化やグローバル化、テクノロジーの深化、最近では新型コロナウイルスによる感染症の蔓延によるリモートワークの浸透など、自社を取り巻く環境は目まぐるしく変化し続けており、それらの多くは前例のない事柄です。それにもかかわらず前例の有無を意思決定の材料にすることは自滅行為に等しいと言わざるを得ません。

一方で、「事例がない」からやらないというスタンスは「前例がない」よりはマシではあるものの、やはり問題をはらんでいます。新規性のある取り組みをやろうとしたときに、似たような取り組みを既に行っている企業にとって競争優位の源泉になっているのであれば、「事例」がすぐに公にならないかもしれません。拙速に事例を公表して競合他社に模倣されたらせっかくの競争優位をすぐに失ってしまうのではないかと考えると、社外秘にしておこうという判断をしてもおかしくはないでしょう。

また、公表された事例が見つかったら検討している取り組みを実行しようとなると、事例が出回る前にリスクを取って導入した企業に先を越されてしまい、先行者利益を獲得しそびれてしまう恐れもあります。

そしてさらに厄介なことに前例や事例にとらわれる人は、それらが見つかったら「同じようにやればうまくいく」と無批判に信じてしまう傾向が多いように思います。前例の場合は時間の経過に伴う自社を取り巻く環境変化を考慮し、どうアップデートすれば効果を創出できるかを考えなければ失敗に終わるリスクが上がってしまいますし、事例の場合は他社がなぜその取り組みを導入してうまくいったのか、自社に適用する際に成否を左右する要因は何か、などを考えずにただ真似するだけでは、やはりうまくいく見込みは少なくなってしまいます。

安心材料を与えて前に進めよう

ここまで「前例がない」や「事例がない」を理由にした新しい取り組みへの反対がいかに問題かを述べてきましたが、それをそのまま説明して反対する人を説得させるのは残念ながら難しいでしょう。なぜなら、そのような人の多くが反対しているのは突き詰めると「失敗するのが不安だから」ということが多く、その不安を払拭する必要があるからです。

そのような人を説得するには、その取り組みの実行に関するリスクを洗い出し、それらのリスクが顕在化する可能性と実際に顕在化した際のダメージの大きさを示したうえで、どのように対応するか方針を説明するとよいでしょう。

その際に考えられる方針としては3つあります。まずはリスクの顕在化を抑えること、次にリスクが顕在化した際のダメージを抑えること、そして最後に取り組みの撤退ラインを引いておくことです。これらについてイメージして頂くために、「社員にノートパソコンを支給してリモートワークを推進する」という取り組みについて考えてみましょう。

まず、この場合に考えられるリスクは「ノートパソコンに蓄積されたデータの流出」や「ノートパソコン本体の紛失や盗難」、「外出時のバッテリー切れによる業務の中断」、「お互いの様子がわからないので業務をサボって仕事に支障が出る」など数多く考えられます。

これらのリスクについて顕在化する可能性と顕在化した際のダメージを考慮し、「ノートパソコンに蓄積されたデータの流出」にフォーカスを当てることにしたとします。

そこで、この場合にリスクの顕在化を抑えるとは、「データをクラウド環境に保存し、本体に残さないようにする」とか、「USBメモリなどの外部記憶媒体にデータを保存できないようにする」などの策が考えられます。もちろん、クラウド環境に保存するのであればその環境のセキュリティーがしっかりしていて、部外者が外部からアクセスできないようになっていることなどが前提になるでしょう。

次に、リスクが顕在化した際にダメージを抑えることを考えますが、この場合では万が一、データが外部に流出した際に備えて「データのやり取りをする際は必ず暗号化しておくこと」や「データのやり取りは万が一、誤送信してしまった場合でも送信を取り消せるツールを使うこと」などが考えられます。

そして最後に取り組みの撤退ラインについて、これはあってはならないことですが「顧客データが外部に流出するケースが1年に3回発生した場合は一旦、リモートワークを中止して会社のデスクトップで作業をさせる」などと決めておくことです。もちろん、徹底的な原因究明と再発防止策の策定・実行も必要です。

このように、「リスクの顕在化可能性の低減」「リスクが顕在化した際のダメージの低減」「撤退ライン」の3段階で備えていますよ、と説明することで反対勢力の不安を払拭し、前例や事例の有無にかかわらず新しい取り組みに挑戦できるのではないでしょうか。

本稿では新しいことを始める際に「前例がない」「事例がない」というだけで止めようとすることがなぜ問題なのか、そしてそれらを理由にして反対する人をどのように説得し、前に進めるかについてお話しました。もし同じような抵抗を受けた際には本稿の内容を思い出していただけると幸いです。

筆者プロフィール: 相原秀哉(あいはら ひでや)

株式会社ビジネスウォリアーズ代表取締役
慶應義塾大学大学院修了後、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)入社。グローバルスタンダードの業務改革手法、Lean Six Sigmaを活用したコンサルティングを得意とし、2012年に日本IBMで初めて同手法の伝道師 "Lean Master"に 認定される。その後、幅広い組織や個人の生産性向上に寄与するべく独立。生産性向上による働き方改革コンサルティングや、コンサルティングスキルを実践形式で学べるビジネスブートキャンプを手掛ける。