島根県出雲市は2月18日、令和2(2020)年度一般会計・特別会計予算案を市議会定例会に提出した。この中で、「旧大社駅保存修理事業」を新規計上した。総工費は9億8,000万円で、国が1/2、島根県が1/6を負担する。出雲市は令和2年度予算として4,000万円を計上した。事業年度は令和7(2025)年度まで。工事は駅舎をまるごと屋根付きの覆いで囲うとのこと。現在の姿はしばらく見られなくなりそうだ。

  • 旧大社駅の駅舎(写真:マイナビニュース)

    旧大社駅の駅舎(2016年撮影)

旧大社駅は、廃止されたJR大社線の終着駅だった。出雲大社参拝の玄関口として、神殿を模した木造平屋建ての大きな駅舎が特徴。団体旅行客に対応するため、長編成が停車できる長いホームを持ち、駅舎側に多数の改札口が用意されていた。

大社線は1912(明治45)年6月1日に国の鉄道院(後の鉄道省、国鉄)が建設した。出雲大社への参詣のためにつくられた路線で、開業時から山陰本線と直通していた。山陰本線は当時、京都駅から出雲今市駅(後の出雲市駅)まで通じており、その先に大社線がある。大社駅は事実上、京都からの鉄道の終着駅でもあった。

  • 大社駅は大社線の終着駅だった(地理院地図を加工)

1924(大正13)年には、2代目駅舎として現在の荘厳な駅舎に改築された。京都と出雲大社を結ぶという路線に重要な意味があり、お召し列車も運行された。大社駅に乗り入れた列車は、大阪からの「だいせん」、名古屋からの「大社」、東京からの「いずも」などがあった。

1914(大正3)年に大阪駅から大社駅まで直通する普通列車が運行を開始し、1935(昭和10)年に同区間の急行列車が追加された。戦後、1947(昭和22)年に夜行準急、夜行急行が走り始めた。1958年、京都駅・大阪駅から伯備線経由で大社駅まで結ぶ急行列車に「だいせん」の名称が与えられる。「だいせん」は後に20系客車を使用するブルートレインとなった。

戦後に運行開始した大阪駅からの準急列車は、後に急行「いずも」として東京駅から直通運転を行った。1972年から特急列車となり、運転区間が東京~浜田間に変更されている。この列車が現在の寝台特急「サンライズ出雲」のルーツとなった。

1966年には、名古屋~出雲市間で急行「大社」が運行開始。編成の一部が普通列車として大社駅に直通した。

「ゴオサントオダイヤ改正」を扱った時刻表1978年10月号を見ると、大社線の出雲市~大社間は1日15往復の普通列車がある。そのうち下り3本は山陰本線の「急行だいせん5号(大阪発夜行)」「急行だいせん1号(大阪発)」「急行大社(名古屋発)」、上り2本は「急行白兎(京都・倉吉行)」「だいせん4号(大阪行)」だった。

他にも多数の団体用臨時列車が運行され、最盛期では年間約280本を数えたという。しかし、自動車交通の発達とともに観光客がバス輸送へ移り変わっていく。大社線は近畿圏からの直通列車が廃止され、普通列車のみの運行となった。そしてついに、国鉄の赤字問題が深刻化し、1986年に特定地方交通線の第3次廃止対象路線となった。大社線は1990年に廃止・バス転換された。

  • 大社駅は出雲大社の大鳥居から徒歩15分の位置。一畑電鉄(現・一畑電車)の出雲大社前駅は1930年に大社神門駅として開業した(地理院地図、空中写真1961~1969を加工)

出雲大社を模した大社駅の駅舎は歴史的価値が認められ、駅構内も保存された。2001年に大社町(当時)発足50周年を記念し、JR大社駅整備事業が実施され、観光資源や町民のシンボルとして整備された。現在の駅構内に保存されている蒸気機関車D51形はこのときに移設された。2004年には、駅舎が国の重要文化財に指定された。1988年の門司港駅、2003年の東京駅に次いで3例目だ。

東京駅は2007年から2012年まで6年3カ月かけて復原工事が行われ、門司港駅も2012年から2019年まで6年以上かけて復原工事が行われた。大社駅の改修工期も約6年間の予定で、工期中の2024年に駅舎落成100周年を迎える。山陰中央日報の2月16日付の記事「旧大社駅舎を大規模修繕 出雲市6年かけ 開設100年向け にぎわいを」によると、「骨組みは残したうえで、半解体をしながら部材の状況などを確かめ、文化庁と協議をしながら進める」とのこと。

  • 室内は広大な広間になっている(2016年撮影)

筆者は2016年に大社駅を訪れた。荘厳な外観はそのままに、ずらりと並んだ団体用改札口も当時の面影を残していた。駅舎内の広大な広間に驚く。ここで映画会が開催されたこともあり、ウォーキングイベントの集合場所としても使われていたという。

筆者が訪れた日は、近隣の農家が作物を持ち寄って市場が開かれ、鉄道部品などが展示されているショーケースの上に野菜や餅菓子などが並べられていた。筆者がのぞき見ていたら、店開きしていた人々が、せっかく並べた商品をわざわざ取りのけて見学させてくれた。

  • 長いホームと改札口の多さは団体客の多さの名残(2016年撮影)

  • 2001年に出雲大社神苑から移設されたD51形(2016年撮影)

列車が走らなくとも、駅は生きている。用途は変わっているとしても、人々が集まり、活用されていた。そんな大社駅の懐の広さがなんとも微笑ましく、頼もしかった。工事では耐震工事も行われるそうだ。復原後も地元の人々や観光客に愛され、そして安心してできる駅になるだろう。個人的には喫茶系の店舗が入ってくれるとうれしい。くつろぎつつ、駅舎が現役だった頃に思いを馳せ、ゆったりとした時間を過ごしたい。