久米宏

――平成時代、たくさんのアナウンサーが活躍しましたが、特に印象に残っている方はどなたですか?

吉川:久米宏さんは昭和から平成にかけて大活躍されてきました。TBSの先輩で、本当にプロでしたね。後輩の面倒見たり注意する時間があったら、仕事の準備や勉強に使いたいという感じでした。久米さんのようになりたければ、誰かに頼るのではなく、自分で努力しなければいけないなって思わせてくれました。

須田:やっぱりアナウンサーはアナウンサーに教えられないと思うんですよ。後輩にいい顔して、尊敬されたいですしね。だから、久米さんのとった態度は天才的にすごいと思う。僕も上のアナウンサーたちは何も言わなかったです。露木(茂)さんは僕の8年先輩なんですけど、久米さんに近いところがありますね。僕が中継から帰ってきたら、その中継を見ていて、ああだこうだ意見を言うんですよ。それがあるのは、出来が良かったときなんです。一方で、褒められたときは良くなかった。徒弟制度じゃないですけど、「見て覚えろ」なんですよね。一世を風靡(ふうび)したアナウンサーはみんなそうでした。逸見(政孝)さんは逆でしたけど(笑)

■気楽に見せる陰での努力

徳光和夫

――須田さんの印象に残っているアナウンサーはどなたですか?

須田:徳光(和夫)さんは別格ですね。

吉川:私も同感!

須田:やっぱりそう思いますか。最近になってまたすごいんですよ。親戚の方(ミッツ・マングローブ)が、「うちのオジキ、バスで寝てればギャラもらえるんだから。こんなタレントいないでしょ?」って(笑)。僕は日曜の朝の政治討論番組(『新報道2001』)をやっていたのですが、それを見て徳光さんは「あいつは日本一のアナウンサーだ」って褒めてくれてたそうなんです。それで、初めてごあいさつしたときにその理由を聞いたら、「60歳を過ぎて自分の意見を言わないのは、アナウンサーの鏡だ」って言われて(笑)。徳光さんはどこに行っても自分の意見を言いたくて仕方ないんだそうです(笑)

吉川:本当に肩に力が入っていない、でも言葉に説得力がある。「あいうえお」1つ1つの音が本当にきれいなんですよ。

須田:パーフェクトですよね。

――アナウンサーのプロが認めるアナウンサーなんですね。

吉川:政治家だろうが演歌の歌手だろうが若い方だろうが、誰と話していても雰囲気が変わらず、言うべきことはちゃんと言ってらっしゃる。でも、きっとその陰には大変な努力があると思いますよ。

須田:気楽にやってるように見せてるんですよね。それを感じたのは、露木さんや徳光さんが学生時代からお世話になっていた、あるハワイアンの歌手の葬儀の司会を頼まれたときでした。徳光さんから弔電が来まして、非常に長い文章なんですが、全部その人が歌った曲の韻を踏んだものになっていて、この人は文才もすごいんだと思いましたね。しかも、弔電を出したその葬儀に出席してるんですよ!

■酒が残ったまま生放送に

みのもんた

吉川:「気楽にやってるように見せる」と言えば、みのもんたさんもすごく印象に残っています。『朝ズバッ!』でご一緒していて、やっぱりすごい才能だなと思いましたね。

須田:あの方は“酔っ払い芸”だと思う。『プロ野球ニュース』のときは、本当にちょっとお酒臭かったらしいですけど(笑)

吉川:『朝ズバッ!』のときもそうでした(笑)。かなりお酒が残ったまま早朝にスタジオに入られる。でも本番になるとシャキッとするんです。そしてCMになると立ったまま寝て、CMが終わると、何事もなかったかのように続ける。すごいプロですよね(笑)

須田:ああいう方は、もういないですよね。

吉川:例えばスポーツコーナーを担当しているアナウンサーは、試合があった投手の昨日の成績のことを調べておくじゃないですか。でも、みのさんは「ところであのチームに対しての勝率はどうだったっけ?」って聞くんです。ある種、久米さんと同じかもしれないですけど、言われなくてもそれに関わることは全部調べておけ、ということなんですよね。だから、若いアナウンサーたちはみんなすごく鍛えられましたね。

●須田哲夫
1948年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、71年フジテレビジョンに入社。以来、『3時のあなた』『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』といった情報番組、『スーパーニュース』『新報道2001』といった報道番組で活躍し、95年から99年まではニューヨーク支局に赴任。19年3月31日でフジテレビを離職。

●吉川美代子
1954年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学卒業後、77年東京放送(TBS)に入社。『久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO』などラジオ番組を担当後、『JNNおはようニュース&スポーツ』でTBS初の女性キャスターを務め、『ニュースコープ』『ニュースの森』などでキャスター、『みのもんたの朝ズバッ!』などでコメンテーターとして活躍。14年に定年退職後、『全力!脱力タイムズ』(フジ)などのバラエティにも出演し、17年には京都産業大学現代社会学部の客員教授に就任。