『3時のあなた』『タイム3』『スーパーニュース』『新報道2001』…フジテレビの情報番組・報道番組で半世紀近くにわたり活躍してきた須田哲夫アナウンサーが、3月31日で同局を離職する。71歳まで現役のアナウンサーとして勤め上げたのは、同局歴代最年長。その48年間で、さまざまな伝説のスターたちとの出会いがあった。

マイナビニュースでは、そんな須田アナにインタビュー。石原裕次郎、森光子、内田裕也、さらにマライア・キャリー、戸塚ヨットスクール校長とのエピソードに加え、今後の活動への意気込み、そして栄枯を知るフジテレビへの熱い思いを語ってくれた――。

  • フジテレビを離職する須田哲夫アナウンサー(写真:マイナビニュース)

    フジテレビを離職する須田哲夫アナウンサー

■初めてのニュース読みは「何行かで止めた」

――アナウンサーを目指したのはどういうきっかけだったのですか?

実はアナウンサー志望ではなくて、新聞記者になりたかったんです。子供の頃からすぐ顔が赤くなるので、それが恥ずかしくて人前でしゃべるのも大嫌い。いまだに人前でしゃべるのは苦手です(笑)

――意外です!

だから、入社してからもずっと報道への異動を希望していたんです。

――フジテレビを選んだのはなぜだったのですか?

どこを受けようかなと思っていたときに、フジテレビの試験が一番早かったんです(笑)。落ちたら他を受けようと思って、NHKや新聞社も含めて願書を持っていました。当時のフジテレビは外国のテレビドラマをよく放送していて、クレイジーキャッツがにぎやかに出演していたり、面白い局だなと思っていましたね。

――そして入社されたその4月に、『3時のあなた』のアシスタントに抜てきされたのは、すごいですよね。

当時でも異例のことだと聞きました。テレビに出たのも声を出したのも初めてで、月曜・火曜の司会の高峰三枝子さんに紹介してもらったのを覚えています。

――初出演のことは、鮮明に覚えていますか?

そりゃもう一生忘れられないですよ、震えたんですから!(笑)。「須田哲夫です、よろしくお願いします」のひと言だけなのに震えちゃって。その日に列車事故の速報ニュースが入ってきて、ディレクターから「これを読んで!」って通信社からのFAXを渡されたんですけど、まだニュース原稿も読んだことなかった。それで高峰さんに「須田君、そんな緊張しなくていいのよ」って言われて、何行かで読むのを止めちゃいました(笑)

――えっ!?

誰にも何も言われませんでしたけどね。今思い出しても恐怖体験でしたよ。

■内田裕也ハワイ直撃で不思議な体験

故・内田裕也さん

――それから『3時のあなた』は約10年にわたりご出演されていましたが、特に印象に残っているエピソードは何ですか?

先日、内田裕也さんが亡くなられて、その映像が使われたからなんですが、裕也さんのインタビューをしたときですね。樹木希林さんとの離婚届を出してからハワイに居たんですが、スタッフが取材して帰国する日を特定したんですよ。当時はすごいですよね、それで「ハワイに行ってこい」と言われて、すぐ行きました。行く前に周りから「暴れん坊だから、何されるか分かんないよ?」とか「カメラなんて見つけたら殴られるかもしれないよ?」なんて脅されてたんですが、空港で張り込みしてたらわりとすぐ来て、「裕也さん、フジテレビの須田です」ってごあいさつしたんです。そうしたら、僕の顔を知ってもらっていて、話す気になってくれたんです。カメラを回して、離婚のことをいろいろ聞いたら、饒舌にいろいろ話してくれました。「あっちいけ!」って言われると思っていたので、あれは不思議な体験でしたね。

それで、「どうして離婚届を出したんですか?」って単刀直入に質問したら、「ヘビーなんだよなぁ」と言われて。これ、すごく絶妙な表現ですよね。2人きりでずっといたら、どんなに好きで恋い焦がれてる人でも“ヘビー”になるんですよ。あの夫婦のエッセンスがその言葉に詰まってたから、すごく覚えてますね。

――石原裕次郎さんともお付き合いがありましたよね。

裕次郎さんもいっぱい思い出があります。『3時のあなた』のスタジオに来たときに、高峰さんが「この人、あなたの慶應の後輩よ」と裕次郎さんに紹介してくれたんです。それ以来、裕次郎さんは何年経っても、僕のことを「後輩」って呼んでくれました。「須田」とか「須田君」とか言われたことはないですね。

その後、舌の病気で慶應病院に入院していることが分かって、僕が行けば取材に応じてくれるんじゃないかとスタッフが考えて、病室は分からないけど、とにかくカメラマンとディレクターと病院に行ってみたんですよ。特別室がある病棟を探してたんですが、その中に「徳大寺」と不思議な名前があるのを見たんですね。気になるなぁと思ってその部屋に入ってみたら、裕次郎さんだったんですよ。もちろん、石原プロモーションの人に「取材はやめてください!」って言われたんですけど、そのやり取りの中で「須田です!」って言ったら、奥のほうから裕次郎さんが「おーい後輩、入れよー」って言ってくれて、インタビューに応えてくれたんです。手術の前の日で、そのときの心境や、映画に対する夢だとか、ベッドの裕次郎さんにざっくばらんにインタビューできたんです。当時だからできた取材方法ですが、今ではこんな無理な取材はできないですよね(笑)

■マライア・キャリーはつらい思い出

――でも、すごく信頼関係が伝わってくるエピソードです。他にも、あの「戸塚ヨットスクール」に体験入校されていましたよね。

朝の『おはよう!ナイスデイ』で行きました。他の生徒と同じ体操をして、スパルタ教育を受けて、海に落とされたりもして。1泊するんですけど、戸塚校長に夜中呼び出されて、話を聞くことができたんです。ただ、取材はNG。そこで、カメラはもちろん、メモも何も持たず、数時間手ぶらで話を聞きました。それから数日後に逮捕されたんですが、あの方の本音を知ることができましたね。

――長年、情報番組や報道番組を担当されていましたが、ニューヨーク支局に赴任されているとき、『HEY!HEY!HEY!』にマライア・キャリーが出演して、インタビューしていましたよね。

あれはつらいインタビューでした(笑)。脚を組んでいろいろ見えちゃうし、電話がかかってくるとインタビュー中なのに出て話し始めちゃうし。うれしいというより、つらかったですよ(笑)