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時が未来に進むとは限らない

『∀(ターンエー)ガンダム』は、『機動戦士ガンダム』20周年にあたる年に、オリジネーターである富野由悠季監督が送り出したTVシリーズだ。とはいえ『∀ガンダム』は、それまでのガンダム・シリーズと風合いがかなり異なる。

  • イラスト:jimao

舞台は正歴2345年とされているが、年号にはあまり意味はない。この世界の地球は、一度文明が崩壊した後、長い時間が経過しているという設定で、文明崩壊以前の歴史は黒歴史と呼ばれ人々の記憶や歴史からは忘れさられている(しかし、まさか“黒歴史”という単語が後にこれほど人口に膾炙しようとは)。そして、この黒歴史の遺物がしばしば掘り出されるのマウンテンサイクルと呼ばれる場所が各地に存在している。

そんな地球に、かつて地球を脱出し、月で世代を重ねてきた人類・ムーンレィスが帰還してくる。ムーンレィスは土地を占領し、地球側と領土紛争が発生することになる。主人公ロラン・セアックはムーンレィスで、地球帰還作戦に先立って斥候として地球に降り立った少年。

マウンテンサイクルから姿を現したモビルスーツ・∀を操縦することになったロランは、地球側が編成した軍隊ミリシャの一員に組み込まれながらも、地球と月の共存を模索していくことになる。

本作がほかのガンダムシリーズと風合いが異なる一番の理由は、地球側の文明が19世紀から20世紀初頭の欧米を思わせる、クラシックな雰囲気で描かれている点にある。自動車や複葉機も登場するが、古風な外観でおよそSFらしい外観をしていない。

だがクラシックに見えるのは外観だけ。このクラシックな風景は、実は超テクノロジー(主にナノマシン)によって支えられているのだ。例えばこの世界で主な燃料源として使われているのは、フロジストーンという物体だが、これはナノマシンの集合体で水に浸すと水を水素と酸素に分解し、水素だけを蓄える機能を持っている。内燃機関はフロジストーンを使い、水素を燃焼させる水素エンジンとなっている。また、この世界の屋根は緑色の草が生えているように描かれているが、これも太陽光発電をする“芝”が植えられているという設定で、これもそれとは見えない超テクノロジーが使われているのだ。

だが、この世界の人々はそれらが超テクノロジーであることを忘れ去っている。彼らにとってはそれはもはや“自然”の一部であり、当たり前の存在なのだ。

超テクノロジーが一巡して“自然”の一部として受け入れられること。『∀ガンダム』の場合それは、技術の受容の問題ではない。主題歌「ターンAターン」で歌われている通り、時が未来に進むとは限らない、ということの現れだ。遠い未来は過去に似る。この“時が巡ること”こそ『∀ガンダム』全体を貫く主題といえる。

では。『∀ガンダム』は一体、どのように“時の巡り”を描いたのだろうか。それを理解するために大きく役立つのが、「カーニバル」と「王殺し」の伝承だ。

さまざまなスケールのサイクルが重なり合って描かれる『∀ガンダム』

カーニバルの起源は古代ローマの祭りに遡ることができる。古代ローマでは毎年12月に農耕神サトゥルヌスを祀るサトゥルナリア祭が催されていた。この祭りには偽物の王が現れて、その一時的な支配権のもとで、日常的規範からの逸脱と逆転(つまり乱痴気騒ぎ)が行われる。そして祭りの終わりに偽の王はスケープゴートとして殺される。それとともに秩序は回復される。この時秩序はただ回復されただけでなく、乱痴気騒ぎを経由したことで新たに活性化されているのである。

『∀ガンダム』の物語を、このカーニバルの構図に見立てると偽王に相当するのは、ムーンレィスで、その女王ディアナに反旗を翻したギム・ギンガナムだろう。ギンガナムは、2500年も演習だけを重ねてきたムーンレィスの軍隊を束ねる総大将である。彼は地球帰還を進めたディアナに不満を持ち、月のテクノロジーを利用しようとする地球人たちと手を組んで、地球・ムーンレィス連合軍に戦いを挑む。

ギンガナムが操る機体は∀と因縁が深いターンX。ナノマシンを散布して文明を崩壊させる「月光蝶」も操ることのできるターンXの力は強大で、ロランたちは苦戦するが、最後はギンガナムもろともナノマシンの繭に包まれ静かに眠りにつくことになる。

『∀ガンダム』のこのクライマックスの流れは、ギンガナムが偽王であり、彼が引き起こした戦争状態がカーニバルにおける乱痴気騒ぎだと考えると、わかりやすい。ギンガナムという偽の王が黒歴史の遺物である∀やターンXといった“汚れ”とともに退場するのである。

カーニバルとは冬至の祭りでもある。それは弱まった太陽の力が再び蘇ることを願うものであり、そこには死を経た再生への願いがある。死へと向かっていくだけだった直線的な時間が、カーニバルを経ることで、再生という名の再スタート地点へと連結される。カーニバルによって時は巡るのだ。

『∀ガンダム』の特徴は、このギンガナムを偽王とする“カーニバル”と前後して、もうひとつ“王殺し”のエピソードが進行するところにある。

古代では、王はその力で世界の秩序を守っていると考えられた。そのため王の力が弱まり、秩序が乱れてくると、古き王は殺され、新たな王を立てるという「王殺し」が行われた。こちらも死を再生につなげるという点でカーニバルと共通点を持つ。カーニバルが象徴する冬至は1年の終わりであり始まりであったが、「王殺し」は植物が枯れ、その種が再び芽吹くという過程に似た「時の巡り」を体現している。

この王殺しのエピソードの主体となるのが月の女王ディアナだ。「王殺し」を扱った古典『金枝篇』のタイトルである「金の枝」とは、女神ディアナが守るオーク(樫)の木のことを指す。おそらくディアナは単に月の女神というだけでなく、この『金枝篇』も意識して命名されたのではないだろうか。

ディアナは地球の少女キエル・ハイムと瓜二つの姿をしていた。戯れに入れ替わった二人は、そのままそれぞれの勢力に身をおくことになる。その経験を経て、2人は月と地球の互いの状況を知っていく。そしてディアナはギンガナムとの戦闘を指揮した後、人里離れた山荘へと隠遁する。キエルは改めてディアナに入れ替わり、月の女王を引き受けて月へと向かう。このディアナの引退(引退したディアナは顔こそ変わらないが、ずいぶんと老けた雰囲気で描かれる)とキエルへの入れ替わりという幕引きが、『∀ガンダム』における「王殺し」のエピソードである。

このようにカーニバルにおける偽王の死と、王殺しを経て、地球と月の邂逅は新たな秩序に至るのである。

季節が巡る1年というサイクル。人が生まれて死んでいくという数十年のサイクル。人間の社会が混沌と再生を繰り返すサイクル。そして文明が滅び再興されるサイクル。『∀ガンダム』は、そうしたさまざまなスケールのサイクルが重なり合って描かれており、登場人物たちがその中で日々を過ごしていたのである。

時は巡る。タイトルが、物事の始まりである「A」をひっくり返した「∀」であるというのは、作品が描こうとした思想を反映したものなのだ。

■著者プロフィール
藤津亮太(ふじつ・りょうた)。1968年、静岡県生まれ。2000年よりフリー。Blue-rayブックレット、各種雑誌、WEB媒体などで執筆する。著書に『チャンネルはいつもアニメ』(NTT出版)、『声優語』(一迅社)、『新聞に載った アニメレビュー』(Kindle同人誌)などがある。WEB連載は『アニメの門V』(アニメ!アニメ!)、『イマコレ!』’(ニジスタ)。毎月第3土曜には朝日カルチャーセンター新宿教室にて講座「アニメを読む」を実施中。

記事内イラスト担当:jimao
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