■いつからが“アニメの現代”か

押井守監督は『うる星やつら』のことを「欲望開放空間」と呼んでいたという。この「欲望解放空間」は登場人物を通じて、視聴者が欲望を解放できるという意味であり、アニメというのは多かれ少なかれそういう側面を備えている。そして『涼宮ハルヒの憂鬱』もまた「欲望開放空間」を担うアニメの系譜に正しくのった作品だった。

  • イラスト:jimao

この「欲望解放区間」とは大塚英志が、少女漫画の学校をなぞらえた“無縁の場”(この言葉そのものは歴史学者・網野善彦が「縁切り寺」などの「その中にいる限り権力などから自由でいられる場所」を指して使った言葉に由来する)にも通じる場所であり、『涼宮ハルヒの憂鬱』は単にそれを描くのではなく、それ自体を主題にした作品でもあり、そこが作品の魅力だった。

だが、今回の本題は、そういう作品の内実とは少し違うところにある。

大学などで「アニメの歴史」に意識的になってもらおうと思い、「いつからが“アニメの現代”か」という話題を取り上げることがある。ここで象徴的な意味で挙げることになるのが『涼宮ハルヒの憂鬱』だ。ここでいう『涼宮ハルヒの憂鬱』とは、2006年に放送された最初のシリーズを指している。

現代のアニメの特徴――内容というよりその外形――を思いつくままに書き記してみよう。

(1)深夜アニメが多い
(2)1クール作品が基本
(3)アニメの原作は、漫画に限らず、美少女ゲーム、ライトノベルなども対象となる
(4)UHF局(東京でいうならTOKYO MX)で多く放送される
(5)最新話をネットで無料配信
(6)イベント上映を含む劇場公開作が増加している

だいたいこんなところだろうか。実はここ2年ほど、またビジネス環境などの変動が始まっており、これだけが「現代アニメ」を現すキーワードではなくなっているが、ここでは直近の変化には触れずにおこう。

こうした要素は、いつ頃出揃ったのか。

まず(1)の深夜アニメ。現在のような、OVAの延長線上で成立した深夜アニメの嚆矢は1996年の『エルフを狩るモノたち』。その後、1997年の『新世紀エヴァンゲリオン』の深夜再放送が視聴率2%を取るという大反響を経て、1998年からテレビ東京が深夜アニメの編成に力を入れ始める。その後、多少の増減を繰り返しながら、深夜アニメは定着することになる。

(3)の原作について。アダルトゲームが原作のTVアニメは『Night Walker -真夜中の探偵-』(1998年)が最初といわれている。また同年にOVA『同級生2』の再編集版もTV放送されている。そうした中で、エポックメイキングなヒットとなったのは1999年の『To Heart』(コンシューマー版のアニメ化という体裁)だった。

ライトノベルは1990年代に『スレイヤーズ』シリーズ(1995年~)のアニメ化などがあったが、その後、一旦数が減少。2000年から2002年までは年間2作程度だが、そこからじわじわと増加して、2006年に12作を記録すると、そこから二桁が続くようになる。

(5)のネット配信について。最新話をネットで配信するようになった嚆矢は、『機動戦士ガンダムSEED』(2002)が極初期の例だ。YouTubeのサービス開始が2005年、ニコニコ動画のサービス開始が2006年だから、それ以前の話である。

■2006年~2007年を境に「現代のアニメ」環境が整った

こうしてみるとおよそ2000年前後に大きく「現代」に近づく方向への変化が起きていることがわかる。

こうした状況を背景に、2006年にライトノベル原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』が登場する。2003年から2004年にかけて「ライトノベルについて語る書籍」が連続して出版されており、『涼宮ハルヒ』シリーズはその中でも取り上げられることが多く、ジャンル外からも注目を集めていた作品だった。

興味深いのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』は放送前、アニメ雑誌編集部などではヒットするとは思われていなかった作品だという点だ。

その理由は、第1に1クール作品であること。第2にUHF局作品であること。

1クール作品は当時、放送期間が短く、作品の周知が行き渡る前に終わってしまうのでヒットにつながらないと思われていたのだ。

SNS普及以前の話である。当時はまだアニメ雑誌の影響力も今より大きく、放送の反響が雑誌を通じてフィードバックされることで、さらにおおきな反響を作り出すという回路がまだ信じられていた。直近の大ヒット作である『機動戦士ガンダムSEED』はまさにそのようなプロセスでムーブメントが生まれていた。

1クール作品では、作品を取り上げられてもせいぜい1~3回程度。それではムーブメントを起こすのは難しいと考えられていたのだ。

UHF局であるということも似たような理由だ。UHF局は放送範囲が狭いから、観られる人も少ない。系列局で一斉に放送するということもないから、地方ではさらに観られる人が限られる。だからヒットと呼ばれるような熱気を生み出すのは難しいと考えられていた。

しかしこういうビハインドな状況を一気に覆してしまったのが、先述の通りサービスが始まったばかりの動画共有サービスだった。違法アップロードされた本編、ハルヒダンスと呼ばれたエンディングの動画、あるいはそれを自分たちで実演してみた「踊ってみた」動画などが、ファンを巻き込んでいく働きを果たしたのだ。

また作品の公式サイトが、劇中に登場する「SOS団」のサイトを模したデザインで、隠しボタンなどが仕込まれた趣向は、現在でいうところの“バズる”要素が十分あったことも注目を集めた。

こうして『涼宮ハルヒの憂鬱』が1クールでも、UHF局でもヒットが出せるということが証明したことが、後のアニメの1クールあるいはUHF局発という方向性を後押しすることになった。

加えて(6)のルーツをたどっていくと、『涼宮ハルヒの憂鬱』の翌年公開された『空の境界』の存在が大きい。同作は当初60分尺の映画を全7作制作し、随時レイトショーで公開していくと企画を発表した。同作のヒットは、連作OVAをイベント上映で映画館にかけるというスタイルの登場を促し、そこから『機動戦士ガンダムUC』のような大ヒット作も生まれることになった。

かくして(1)から(6)の要素が出揃った。

つまり2006年~2007年を境に、今私たちが体感しているような「現代のアニメ」環境が整ったということになる。そしてその象徴的な存在として『涼宮ハルヒの憂鬱』はあるのである。2006年、それはつまり平成18年で、今からおよそひとまわり前の出来事であった。

そして今また、アニメを取り囲む環境はいろいろ揺らぎだしている。数年後には『涼宮ハルヒの憂鬱』も「現代の起点」から「過去のエポックのメルクマール」になってしまうのだろう。

藤津亮太(ふじつ・りょうた)。1968年、静岡県生まれ。2000年よりフリー。Blue-rayブックレット、各種雑誌、WEB媒体などで執筆する。著書に『チャンネルはいつもアニメ』(NTT出版)、『声優語』(一迅社)、『新聞に載った アニメレビュー』(Kindle同人誌)などがある。WEB連載は『アニメの門V』(アニメ!アニメ!)、『イマコレ!』’(ニジスタ)。毎月第3土曜には朝日カルチャーセンター新宿教室にて講座「アニメを読む」を実施中。

記事内イラスト担当:jimao
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