FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ITバブル崩壊局面での米ドル高の理由」を解説します。

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  • ITバブル崩壊局面での米ドル高の理由を解説

    ITバブル崩壊局面での米ドル高の理由を解説

前回まで述べたように、ITバブル崩壊局面では、その主役となった米ナスダック指数は約2年半で7割以上もの暴落となったものの、米ドル相場は、1米ドル=100円程度から130円を超えるまでの大幅高(大幅な円安)となりました。

その後の常識では、むしろ「株安(リスクオフ)の円高」となったのに対し、なぜITバブル崩壊相場では逆の結果となったか。それについて私は前回「本格的株安局面でのレパトリエーション(資本の母国回帰)の影響」を根拠に予測し、見事的中したようになったということを説明しました。それに加えて、もう一つ、こんな影響もあったのかもしれません。

勝負の行方は、勝負前に手掛かりあり!?

ITバブル崩壊の始まりは、基本的には2000年に入ってからですが、それ以前に米ドル/円は急激な米ドル安・円高が起こっていました。具体的には、米ドル/円は、1998年7月の1米ドル=147円から、2000年1月には101円まで、要するに約1年半で50円近くも暴落(円高)となっていたのでした。

その結果、米ドル/円を5年MA(移動平均線)からのかい離率で見ると、ITバブル崩壊の株安が始まる前には、「下がり過ぎ」、円から見ると「上がり過ぎ」気味になっていたのです。

  • 【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1985~2010年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1985~2010年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

リスクオフでは「安全資産」として円が買われやすい。その理由に今一つ納得いかなくても、この連載でこれまでも見てきたように、リーマン・ショックでもBrexit(英国のEU離脱)ショックでも、事実として円高となっていたということがあります。ましてや、米国発のITバブル崩壊の株安であるなら、米ドルこそが下がりそうに思います。

それにもかかわらず、なぜITバブル崩壊では、米ドル安・円高ではなく、むしろ大幅な米ドル高・円安に向かったのか。それに対するもう一つの答えは、株安、リスクオフが始まる前に円高となっていたため、さらなる円高より、むしろ反動から円安に向かうところとなったのではないかということです。

私はこのような視点も、為替相場を考える上ではとても重要だと思います。たとえば、リーマン・ショックや、その前の信用バブル崩壊と呼ばれたリスクオフの株安が始まる前までは、為替相場は円安傾向が続いていました。だからこそリスクオフ(株安が本格化)すると、円安の反動による円高が広がったということではないでしょうか。

私が言いたいのは、単にリスクオフ=円高、リスクオン=円安といった予め決まった法則があるということではなく、きっかけが出る前の相場状況もとても重要だということです。このケースに合わせていうなら、リスクオフでは確かに円が買われやすい要素はあるとしても、その前に円安が続いていた場合なら、その反動の円高はより大きくなる可能性がありました。しかし、それ以前から円高となっていた場合は、さらなる円高の反応も限られ、逆に反動から円安へ向かう可能性があったのではないかということです。

為替相場を見る中でよく経験するのは、注目イベントの影響です。たとえば注目の経済指標が良かったら買われ、悪かったら売られるかというと、実は必ずしもそうではなく、逆に動くこともあります。話が少し横にそれますが、こうした動きについて私がよく例えとして説明するのは、2008年12月、あのリーマン・ショックの最中に、FRB(米連邦準備制度理事会)が、米国史上初めてゼロ金利政策を決定した局面についてです。

ゼロ金利政策、つまり政策金利を実質的にゼロまで引き下げる「究極の利下げ」を行えば、米ドルは急落しそうです。しかし実際は逆に、一旦米ドルは急反騰に向かったのでした。それは、リーマン・ショックの影響で、すでにこのゼロ金利決定前までに米ドルが急落し、「下がり過ぎ」になっていた影響が大きかったと私は考えました。

要するに、相場とは、注目材料の結果が出てから「ヨーイドン」で動くのではなく、「下がり過ぎ」か「上がり過ぎ」か、結果が出る前の偏りが、その後の方向性にもかなり影響する可能性があるということです。勝負の行方は、勝負前に手掛かりありといったことですが、うまく伝わったかな!?