連載『経済ニュースの"ここがツボ"』では、日本経済新聞記者、編集委員を経てテレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長などを歴任、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーとして活躍、現在大阪経済大学客員教授の岡田 晃(おかだ あきら)氏が、旬の経済ニュースを解説しながら、「経済ニュースを見る視点」を皆さんとともに考えていきます。


人民元をもっと安くして輸出を増やし景気をテコ入れする必要が強まった

中国の突然の人民元切り下げで世界中に衝撃が広がりました。中国はこのところ景気の減速が目立つ中で輸出も減少しているため、自国の通貨を安くすることによって輸出のテコ入れを狙ったもので、景気対策の一環といえます。それは理屈上、株式市場にとってプラス材料のはずなのですが、あまりにも突然だったことと、人民元の制度が不透明なため、逆に「そこまで中国の景気は悪いのか」とショックが広がり、世界中の株価が急落する結果となりました。

この問題の背景や影響を理解するには、人民元の特殊性についてまず認識する必要があります。私たちがよく知っている円やドル、ユーロなどの主要通貨は変動相場制の下で自由に売買されて相場が形成されていますが、人民元は中国政府が相場を強力に管理しています。中央銀行である中国人民銀行が毎朝、対ドルの人民元レートについて「基準値」を発表しており、取引に参加する銀行はこの基準値の上下2%以内の変動幅でしか売買できない仕組みです。しかしこの基準値の算出方法の詳細は公表されていません。

今回はこの基準値の水準を切り下げたものです。切り下げと同時に、基準値を「前日終値を参考にして決定する」と発表しました。これによって相場の実勢に近づけるとしています。

歴史的に見ると、これまで人民元相場は緩やかに上昇傾向をたどっていました。中国経済の成長と輸出増加を背景に2005年には人民元の切り上げを実施し、その後もきわめて小幅ずつですが元高方向で推移していました。この時期は、中国経済の実力から見るともっと元高になってもおかしくなかったのですが、急激な元高は輸出企業に打撃となるため、中国当局が元高進行を抑える姿勢が目立っていました。リーマン・ショック直後から2010年頃までは国内の輸出企業への影響に配慮して、人民元の上昇を完全に抑え込んでいたほどで、こうしたところにも元相場の特殊性が表れています。その後は景気回復につれて中国当局は再び緩やかな元高を容認し、いわば"管理された元高"が続いていました。

ところが昨年ごろから、こうした流れに変化が起きていました。中国の景気減速を反映して元高圧力が弱まり、むしろ元が安くなる傾向が出ていたのです。輸出額(ドルベース)もかつては前年同月比30~40%増が当たり前でしたが、次第に伸び率が鈍化傾向となり、今年に入るとほぼ毎月マイナスに転じています。

輸出以外でも、最近は低調なデータが目立っています。7月の新車販売台数は前年同月比7.1%の減少で4カ月連続で減少、減少幅は2008年12月以来最大となりました。消費や生産の伸びも鈍化が続いており、設備投資と建設投資の動向を示す固定資産投資は1-7月に11.2%増と、2000年12月以来15年ぶりの低い伸び率となっています。6~7月には上海株価指数が急落したばかりで、これも中国当局もなりふり構わぬ市場介入と株価対策で何とか下げ止まっている状態です。

こうなると中国としては、人民元をもっと安くして輸出を増やし景気をテコ入れする必要が強まったわけです。これが今回の人民元切り下げの背景です。8月11日から3日間連続で基準値を切り下げ、その率は3日間で4.6%に達しました。グラフを見ると人民元の水準を大幅に押し下げたことが分かります。前述の通り人民元制度はもともと不透明で、中国政府の政策意図にそって相場形成が行われていますが、それに加えて今回はかなり強引に元を安くしようとしたと言えます。

「北戴河会議」の最中の人民元切り下げ、習近平政権の危機感と強い意志

今回の人民元切り下げにはもう一つ、タイミングに注目する必要があります。

それは、習近平国家主席をはじめとする最高指導部と長老が河北省の避暑地に集まって「北戴河会議」を開いているとみられることです。この会議は毎年8月に開かれ、国家の重要テーマや人事について話し合う場で、共産党大会など表立った公式の会議以上に重要な会議と言われています。その最中に人民元切り下げを決定したのですから、習政権の危機感と強い意志が表れていると見ていいでしょう。

これは先の株価急落に対する必死の株価対策と同じです。中国政府が7月上旬に相次いで株価対策を打ち出したことは、この連載(第35回)で書いた通りですが、中でも「悪意ある空売り」への取り締まりは公安当局が主導して行っている点が際立っています。腐敗摘発で権力基盤を固めようとしている習政権にとって、経済済が混乱するような事態になれば政権安定があやうくなりかねないとの事情があるのです。「経済安定」は習政権の生命線とさえ言えるもので、人民元切り下げもそうした一連の対応の一環と見ることができます。

人民元切り下げの効果はある?--国際的には今回の切り下げには批判

それでは人民元切り下げの効果はあるのでしょうか。元安によって多少は輸出が増加する効果があるかもしれません。しかしそれによって景気全体をテコ入れできるほどのインパクトがあるかどうかは不透明です。景気の減速は一時的な動きではなく構造的な背景があるためで、景気の立て直しはそう簡単ではありません。

逆に国際的には今回の切り下げには批判が強まっています。米国など先進国の間では従来から「中国は実力以上に元安になるよう操作している」との批判が根強くありますが、さらに元安にしたわけですから、批判が強まるのは当然でしょう。本来は変動相場制に移行すべきところを逆行する動きでもあり、元の国際化も遠のく結果になりかねません。

また世界の株価が急落したことに見られるように、市場には中国の景気が減速を通り越して悪化に向かっているとの見方が急速に強まっています。元の切り下げ自体は8月11日から3日連続で実施されたあと14日には一応終了し、世界の株価はいったん下げ止まりました。しかし中国の景気悪化によって原油の需要が減るとの懸念から、原油がNY市場で6年5か月ぶりの安値をつけました。金相場も下落するなど、元切り下げの余波は続いています。

日本への影響は?

日本への影響はどうでしょうか。元切り下げによって中国の景気が持ち直せば、日本にとってもプラスになるはずですが、中国の景気悪化が続くようなら日本にもマイナスの影響が出る可能性があります。たとえば、日本から中国への輸出減少、中国に進出している日本企業の業績悪化、訪日中国人の減少などが考えられます。

いずれにしても今や中国は世界経済にとって最大のリスクとなっていますが、そんな折も折り、天津の爆発事故が起きました。事故の影響で周辺の工場の操業停止や世界4位の天津港のマヒなどで景気の足を引っ張る恐れがありますし、日本の自動車メーカーなども被害を受けた模様です。中国国内では事故への対応をめぐって政府への批判が高まっているとの報道も出ています。

こうした状況の中で、前述の通り中国政府の危機感の強さを考えると、さらなる景気対策を打ち出してくる可能性があるかもしれません。しばらくの間は、元切り下げの効果が出てくるのかどうか、そして景気が持ち直すかどうかを見きわめる重要な局面が続きそうです。

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。