漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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突然だがこの連載は今回で打ち切られることになった。

しかし、そうは言っても300回以上、年数にして何年かは忘れたが無職前からやっていることだけは確かだ。

もはや私の人生は無職前と無職後の区別しかない。無職前のことは「紀元前」ぐらい雑にまとめられている。

つまり、かなりの長寿連載であり、それに対し「打ち切り」などというのはさすがに卑屈すぎであり「堂々最終回」とか言っても良いはずだ。

むしろこれで打ち切りと名乗るとは8回とかで突然の死を迎えた本物の打ち切りニキへの礼を欠きすぎている。

そう思われたかもしれないが、この連載は本当に打ち切りなのである。

何故なら担当からのメールに「連載調整において、本連載の打ち切りが決定いたしました」と書かれていたからだ。

私も、漫画家そしてライターを初めてから十何年、何せ無職前のことなので正確な年数は忘れた。

今まであまたの連載終了を告知されてきたが、編集者から「打ち切りです」と言われたのは初めてかもしれない。

読者も追っていた作品が、数々の伏線を無視したまま、いきなり「-10年後-」というモノローグと共に、手近な男女が一斉にくっつき、顔は父親、髪が母親の雑な子どもを抱いている様を見せられたら「推し作品が打ち切られた」とTwitterにつぶやくだろうし、作家自ら「力及ばず打ち切りです」と読者に詫びることもたまにある。

しかし、意外と編集者は作家に対し打ち切りという言葉は使わないのだ。

漫画業界に限らず現場で「打ち切り」という言葉が、クライアントと作り手の間で使われることはそんなにないのではないだろうか。

打ち切りと言うのは、全裸で両手足を縛られ、全身に銃弾、眉間にダーツ、口に祭の豚みたいなリンゴを咥えさせられたまま吊されている死体みたいなものである。

誰がどう見ても、すごい目にあって殺されているのがわかる、わかるのだからわざわざ遺族に「娘さんは全裸で両手両足を縛られたあと全身に散弾銃を受けたあとダーツの的になり、12時間ほど回転させられながらじっくり焼かれ、リンゴの意味はヤフー知恵袋で聞いたけどよくわかりませんでした」と細かく説明する必要はない。

過程はどうあれ「死」という結果は変わらないのだから「お亡くなりになりました」とだけ告げれば良いのだ。

よって、編集者も「単行本が地獄のように売れなかったので打ち切りです」などとは言わずに「終了が決定しました」という事実だけ告げてくる場合が多い。

言われなくても、単行本が地獄のように売れなかったための打ち切りであることは作家自身が一番よくわかっているので、終了を宣告されて「なんでや!?」などとは聞かないのだ。

読まされている側からすれば突然の死かもしれないが、現場にとっては割と必然の死なのである。

ともかく編集サイドは「残念ながら今作は終了いたしますが、ぜひ次回作もよろしくお願いします!」という、オブラートに包んだ、というよりオブラートオンリーで中身のないことを言ってくるので、こちらもまだ「打ち切りになってしまいました」と自ら切腹して見せる余裕があるのだ。

よって今回の担当からの「打ち切りが決定いたしました」には新鮮に驚いてしまった。 思えば「家族」というぬるいテーマで300回以上、担当は3回ぐらい変わったが特に大きな事件もなく淡々と続いてきた。

それが最後の最後にすごい爆弾を落として来るのだからやはり戦争は地獄である。

「打ち切り」という言葉の強さに目を奪われがちだが、よくよく読んでみると「調整会議により」がいい味を出している。

「調整」という言葉の無慈悲さもさることながら「カレー沢の連載どうする?」「もうよくね?」というやり取りを読み手に想像させ自壊を誘うという高度なテクニックを用いているところも怖い。

だが担当は出版業界の人ではないので、もしかしたらまだ日本語の機微に不慣れな外国人の人が「僕の恋人です」という意味合いで「コイツ、オレノ、カキタレ」と言ってしまうように、ただの「終了」という感覚で「打ち切り」と言ってしまっているのかもしれない。

そうだとしたら、最後の老婆心として「その言葉は作家本人に使わない方がいいですよ」と忠告すべきかと思ったが、それに対し「ワザとです」という返信が来たらPTSDを発症するので、怖くて言えない。

そういえば本連載は別の出版社から「ブスの家訓」というタイトルで書籍化しているのだが、先日その担当から「紙は絶版になりましたので以後は電子だけです」というお知らせが来た。

それもわざわざ言わなくて良いことである。

この連載に関わった人間は、どうせ終わるなら相手に大ダメージを与えてから死ぬ、という爆弾岩精神を持った奴ばかりだ。

だが一番怖いのが、ダメージを受けるとわかっていて、真実をありのまま伝えるのが誠実と思っているパターンである。

しかし、今は打ち切り宣告にも感謝している。

何故なら連載というのは終了が決まってから最終回までがきついからである。

「どれだけ頑張ったところで終わる」という事実から、やる気が出ず、最終回までの話が何も思い浮かばない、ということも良くあるからだ。

後世に残るような華々しい打ち切り最終回を描ける作家は並の精神力ではない。

しかし、今回は打ち切りの連絡を貰った時点で「最終回の内容はこれで決まった」と確信したし、むしろ最終回を書くのが楽しみにすらなった。

だが、それが生きるのも「長年やって最後にこれ」という重みがあってこそであり、8回だったら大して面白くもない。

そういう意味で本連載を300回以上続けさせてくれたことには感謝しているし、わざわざ大オチまで作ってくれた担当には感謝しかない。


長年にわたり本連載をご愛読くださった読者のみなさま、誠にありがとうございました! 本連載は終了いたしますが、マイナビニュースの別連載「カレー沢薫の時流漂流」は引き続きお楽しみいただけますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。