漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「ランキング」だ。

このテーマが出てきたということはついに「担当ブチ殺したいランキング」を公開するときが来たということだろう。

ただこのランキングの公開は経緯を知らない人から見ればただの誹謗中傷に見えてしまう恐れがある。

現在ネットに誹謗中傷を書くという行為は書かれた側より書いた側に訴訟などのリスクがあるため、担当のためではなく自分のために控えなければいけない、というのが現状だ。

そんなに担当個別に恨みがあるのか、というとあるのだが、逆に特に具体的恨みのない担当はランク外かというとそんなことはない。

ただ順位が振るわないというだけで、ランキング内にはちゃんと入っている。

私の担当への怒りはもはや担当という概念、そして集合体への怒りである。

恨みがある人間に対し「だがこいつの小腸と胆のうには罪がない」と思えるだろうか、むしろ吐いた息すら許せなくなる場合の方が多いだろう。

編集者というだけで、担当という物体の一部なのだからその時点でエスカレーター式にランク入りである。

男だから、女だから、〇〇人だからと属性で人を判断するのはナンセンスである。

オタクがキモいわけではない、キモいオタクが存在するだけで、探せばキモいスポーツマンやキモすぎる元ジュノンボーイも存在するはずだ。

属性ではなく個別で見るべきだということである。

しかし「カマドウマというだけで嫌うべきではない、個別で向き合えば模様が生理的に無理じゃないカマドウマだっている」と言われても、まず向き合うハードルが高い。個別に向き合うにも限度がある。

現在、すべてのものに対し、認めよう、受け入れようという風潮になっている。確かに対外的には「人類皆兄弟日々是精進! 趣味は人間観察!」みたいな姿勢を取った方が良い。

しかし、受け入れを強制しすぎる世の中は「受け入れられない自分の心が狭いのが悪い」という自己嫌悪を引き起こし、逆に「受け入れられない自分を受け入れられない」という本末転倒になってしまう。

他人を認めるのも大事だが、まず自分を認められなければ人は不幸になる。

せめて内心ぐらいは何かを受け入れられない自分を許すべきだ。

よって、私はこれからも担当を意味もなく憎む自分を許す。ありのままの自分の存在を許すことこそが自己肯定感なのである。

そんなわけで、担当ブチコロランキングは完全なガチゆえに公表することはできない。

その代わり、別の毒にも薬にもならないランキングの話をしたいところだが、そこまで何かに対しランク付けをすることがあるだろうか。

ポテトチップスで一番好きな味は「うすしお」など、1位はあるが、それ以下の順位を厳密に決めているものは意外と少ない。

決めていたとしても「うすしお」と言った時点で「コンソメやろが!」という謎の横やりが入り、殴り合いのケンカに発展するため、なかなか2位3位まで発表する機会に恵まれない。

辛うじて2位なら「ごま油味」と言えるが、3位ともなればもはや「どれでもいい」だし、選ばれた方も「3位ごときで恩着せがましく言わないでほしい、お前ごときに選ばれるのはむしろ不名誉」と思われている気がする。

そもそも本人たちが競争して順位が付くのは仕方がないし数字などの根拠があるなら良いのだが、勝手に他人が主観でランク付けする行為自体いかがなものか。

しかしこのコンプラ社会においても「勝手にランク付け」は連日、それも朝っぱらから行われているのだ。

それが「今日の占いランキング」である。

これは星座ごとに今日の運勢を占い、運が良い順に並べていくという行為であり、朝のニュースなどで良く見かける。

占いを否定する気はない。しかしなぜランキング形式にする必要があるのか、運勢というのは競うものではないだろう。

運勢が悪かったとしても「今日のてんびん座は生きてるだけで辛いです」とだけ言ってくれればいいのに、なぜ「最下位」という劣等感まで付与してくるのか。

そんな占いをたまたま見てしまい、朝っぱらから気分をどんよりさせてしまったというだけで不運なので、確かにその占いは当たっているともいえる。

だが、占いに気分を引きずられ、ミスを連発するようでは「自分でその占いを当たりにしてしまった」のと同じである。

逆に言えば己の心持ち一つでその占いを外れにすることだってできる。

たとえ占いが最下位でどれほどの不運が起きようと「死んでないからツいてる!」と思えばその占いは外れである。

自分の価値を決めるのは常に自分だ。我々はこれからも、根拠のない他人からのランク付けにあらがっていかないといけない。