今回は、1586(天正14)年の様子が描かれた。以下で、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、秀吉への対抗で一色となった徳川家中で、石川数正が孤立するシーンが挙げられる。

大坂に招かれた数正は秀吉と謁見し、徳川家と真田家が和睦するように命じられる。反論する数正に、秀吉は圧倒的な財力を見せつけた。数正は三河へ戻るが、徳川家中で秀吉に従おうとする者は誰一人いなかった。

秀吉と秀長が死ぬまで待つという数正の進言は弱腰と捉えられ、血気盛んな家臣たちの中で数正は孤立していく。そして、長年仕えた徳川家を出奔するという思い切った行動に出た。

SNSでは「四天王をはじめとする家臣が説得を聞かないことを誰よりも分かっていたんだろうな。だからこそ出奔するしかなかったんだね」「いつでも冷静な数正は徳川家臣では珍しい存在だったんだな。抑え役がいなくなったらヤバい気がする」と、数正に関する投稿が多く見られた。

史実で数正がなぜ家康(松下洸平)のもとから去ったのかは、現在もはっきり分かっていない。秀吉から高い待遇を提示されたという説のほか、家康と秀吉の間を取り持つ政治的な判断だったという見方などがある。

秀吉に仕えた数正は信濃松本を与えられ、城や城下町の整備を進めて松本城の基礎を築いた。秀吉の家臣として各地を転戦し、1592(文禄元)年に亡くなったとされている。数正の子・康長は松本を治めたが、1613(慶長18)年に起きた大久保長安事件が原因で改易され、石川氏の松本支配は終わった。

  • (C)NHK

    (C)NHK

加藤清正と福島正則、石田三成と激しく対立する

次に、意見の相違で激しく対立する加藤清正(伊藤絃)・福島正則(松崎優輝)と石田三成(松本怜生)の姿がある。

偶然通りかかった秀長は、今にも三成に殴りかかろうとしている清正・正則と遭遇した。三成は秀長同様、豊臣家の未来を案じて秀吉が側室を持つべきだと主張する。しかし、寧々に育てられた清正・正則がそれに激怒し、一触即発の事態に。ともに豊臣家にとって欠かせない家臣たちだが、対立が収まることはなかった。

SNSでは「ここで三成と清正、正則の諍いを入れてくるか。先行きが怖くなってきた」「三成くんの考えは正論なんだろうけど、それだけじゃ割り切れないものもあるよね」と、2つに割れる豊臣家中にコメントが集まった。

秀長、秀吉に側室を持つよう説得する

秀吉が養子にもらった織田信長(小栗旬)の四男・於次秀勝の病状はかんばしくなかった。豊臣家の未来を案じた秀長は、石田三成との会話で茶々こそが秀吉の妻にふさわしいと思いつく。

そんな秀長の提案に、寧々を思いやる秀吉は激高する。秀次とその弟・小吉がいるから問題ないという秀吉だが、秀長は秀次の力量を信頼していなかった。1584(天正12)年の三河中入りで大敗を喫した際に、秀次が敗因を自分ではなく他人に押し付けたことが忘れられないのだろう。そんな兄弟の口論を止めたのは寧々だった。秀吉を支え続けてきた寧々は豊臣家のため、秀長の申し出を認める。

SNSでは「兄弟ともに実子に恵まれないばかりか、養子達にすら先立たれるの本当に運がないよな」「秀吉も秀長の言い分は分かっているんだろうけど、理解できるのと納得できるのでは違うからね」「秀吉がこんなに秀長に反対することなかったよね。やっぱり寧々は特別な存在なんだな」と、兄弟のやり取りにコメントが集まった。

秀吉と茶々の関係については、秀吉が思いを寄せていたかつての主君・織田信長の妹である市に瓜二つの茶々を、何とかして我がものにしようと策を尽くすのが従来の大河ドラマでは定番だった。しかし今作では、まったくその気のない秀吉に、秀長が強引に側室の座を勧めるという大胆な筋書きとなった。

実際の秀吉には多くの側室がいたが、作中でこれまで一切登場しなかったのは、この展開を見据えてのことだったようだ。今回の秀吉の真面目さは、歴代大河ドラマでも際立っているのではないだろうか。

秀吉の数多くいる側室の中には、前田利家(大東駿介)とまつ(菅井友香)の三女・摩阿がいた。秀吉の養女となった豪(福地美晴)の姉にあたる。

摩阿は1582(天正10)年、11歳の時に柴田勝家の家臣・佐久間十蔵と婚約し、北ノ庄城に入った。しかし、1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家(山口馬木也)が秀吉に敗れ、北ノ庄城が落城すると十蔵も自刃。摩阿は女中のあちゃこに救われて、利家のもとへ戻ったと伝えられる。

1584(天正12)年に秀吉の側室となった後も、摩阿は前田家の屋敷で過ごした。秀吉が前田家を訪ねるのは、摩阿との面会だけでなく、利家に会うためだったともいわれている。秀吉の死後は万里小路家13代当主・万里小路充房に嫁いだ。

  • (C)NHK

茶々、秀吉の妻となることを宣言する

最後に、茶々が寧々との勝負に勝ち、秀吉の妻となることを宣言するシーンが挙げられる。

秀吉の妻になるように秀長に説得された茶々は激しく抵抗する。しかし秀長は、市が茶々の幸せを願っていたこと、自身と慶(吉岡里帆)が分かり合えたことを伝える。心が揺らいだ茶々のもとへ寧々が現れ、弓での勝負を持ち掛けた。

  • (C)NHK

    (C)NHK

互いに全力を尽くした勝負は茶々に軍配が上がることに。自らの胸中を見つめ直した茶々は、その場で寧々に秀吉の妻になると宣言する。

SNSでは「苦い思いもありつつも、2年の間に秀吉のことを認めてきたんだろうね」「寧々さん、カッコいいな。本心を押し殺して茶々を導くなんてさすが北政所だね」と、寧々と茶々のやり取りが話題となった。

作中ではすでに嫁いでいた初(田牧そら)と江(西川愛莉)だが、史実では初は1587(天正15)年に京極家当主であった京極高次へ、江は1584(天正12)年頃に佐治一成に嫁いだとされている。

京極高次は京極高吉と浅井長政(中島歩)の姉・京極マリアの嫡男で、三姉妹にとっては従兄にあたる。佐治一成は佐治信方と織田信長の妹・犬の嫡男であり、こちらも従兄になる。

初は1609(慶長14)年に高次が死去するまで一緒だったが、江は1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いで、一成が三河へ戻る徳川家康に船を提供したことで秀吉の怒りを買い、離縁させられた。

その後、1585(天正13)年に豊臣秀次(山田涼介)の弟で秀吉の養子となっていた豊臣秀勝と再婚し、娘・完子をもうけた。完子は九条家当主・九条幸家の正室となる。

しかし秀勝が1592(文禄元)年、文禄の役従軍中に病死すると、1595(文禄4)年に徳川家康の三男で江戸幕府の第2代将軍となる徳川秀忠と再婚する。秀忠との間には豊臣秀頼の正室となる千姫、第3代将軍となる徳川家光を含む2男5女をもうけた。

きょう18日に放送される第40話「あさひの輿入れ」では、重臣・石川数正の突然の出奔に徳川家中には混乱が広がる。しかし、徳川家康はそれでも秀吉との戦の準備を進める。戦は避けられないかと思われたが、大地震が発生。双方とも講和の方向性を探ることになる。

  • (C)NHK