今回は1581(天正9)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、桑実寺で茶会を開いていた信長が、命を狙われるシーンが挙げられる。長宗我部元親(磯部寛之)の四国切り取りを認める約束を急に反故にした信長。元親は激怒し両者を橋渡し役である明智光秀(要潤)は板挟みになる。茶会が終わった後、信長は正体不明の刺客に襲撃されたが、森乱(市川團子)や光秀が撃退。しかし、その正体は分からずじまいだった。さらに信長は寺の住職にも襲われる。信澄によって救われたものの、その姿は信長のトラウマを強く刺激することになった。

SNSでは「やっぱり今作の信長は繊細だな。信勝のことを引きずりまくってるな」「真っ先に信澄を心配するぐらい優しいのにそれが仇になってるな」と、信長の心情が話題となった。

史実での桑実寺は竹生島事件に登場する。1581(天正9)年、信長は数名の近習を伴い、安土城から竹生島へ参詣した。竹生島は古くから弁才天信仰の霊場として知られていた。安土城の女房衆は竹生島は遠方なので、信長が長浜城に宿泊するだろうと考え、桑実寺へ参詣するなどして城を空けてしまう。ところが信長はその日のうちに安土城へ帰還。無人同然の城内の様子に信長は激怒し、女房衆を捕らえるよう命じた。女房衆は桑実寺へ逃れ、寺の住職が助命を願い出たが信長はこれを許さず、住職もろとも女房衆を成敗したと『信長公記』に記されている。

織田信長、秀吉に飲み比べする

次に織田信澄の処遇を懸けて信長が秀吉に飲み比べを提案するシーンが挙げられる。女性陣のぎこちない舞や、兄弟の滑稽な猿回しは見込み通り信長を笑わせることができた。好機と見た小一郎と秀吉はついに信澄の赦免を願い出る。しかしその瞬間、信長は激怒。宴会の席は一気に緊張に包まれる。

そんな空気を破ったのはとものいびきだった。さらにあさひが泣き出すとそれにつられ酒を飲み過ぎた家臣団も泣き出す。さらには寧々がくだを巻いて秀吉にからみ始め、収拾がつかない事態に。あきれ果てた信長だったが、すっかり毒気を抜かれ秀吉に飲み比べを提案する。皆がはやし立てる中、秀吉は見事に勝利した。

SNSでは「あんなしっちゃかめっちゃかな事態になったら呆れるしかないよな」「飲み比べをしている信長はいつになく楽しそうだったね」と思わぬ展開に視聴者のコメントが集まった。

作中では豪快な飲み比べを繰り広げた秀吉と信長。後の話になるが、史実での秀吉は1595(文禄4)年に公布した大坂城壁書で「酒者随器但大酒御制禁之事(酒は身分や器量に応じて飲んでもよいが、大酒は禁ずる)」と定めています。適量の飲酒は認める一方で、度を超した飲酒を戒めており、秀吉自身も大酒飲みではなかった可能性が高いとされている。

一方、宣教師ルイスフロイスが記した日本史によると、信長は朝早く起床し、食事も節制するなど規則正しい生活を送り、酒もそれほど好まなかったと記されている。また、信長は日本で初めて金平糖やバナナを食した甘党であったという記録もあり、酒より甘味を好んだ可能性が指摘されている。安土城でよくワインを飲んでいるイメージはあるが。

ちなみに1580(天正8)年、長宗我部元親は織田信長へ、鷹16羽と砂糖3,000斤(約1,800kg)という豪華な贈り物を献上したと『信長公記』に記録されている。当時の日本では砂糖はまだ国産化されておらず、中国や東南アジアとの貿易によってもたらされる極めて高価な輸入品だった。そのため3,000斤もの砂糖は現在では想像しにくいほど価値の高い献上品であり、元親が信長との関係を重視していたことを示す贈答品だったと考えられている。

織田信澄、明智光秀に本心を明かす

最後に、信澄が光秀に驚がくの本心を明かしたシーンが挙げられる。信澄が許され安堵した光秀。しかしそんな義父に信澄は先日の御内書は自分が書いたと打ち明ける。これまで信長に従順に従っていた信澄だが、実父の復讐の機会をずっと狙っていたのだろうか。

SNSでは「やはり裏切り者の一族は根絶やしにしないとダメだったか」「ほかの作品じゃあんまりクローズアップされない信澄がここまで出る時点で疑うべきだったか」と、まさかの展開にコメントが集まった。もしそうなら、信澄を疑っていた信長の懸念は当たっており、信澄の赦免を願い出た小一郎と秀吉の行動は完全に裏目に出たことになる。果たして信澄の行動が本能寺の変の引き金となるのだろうか。

きょう12日に放送される第27話「本能寺の変」では、その秘めた本心を明かした織田信澄に義父である明智光秀は激しく動揺する。さらに安土城では徳川家康の饗応の席が設けられるが思わぬ事態に。追いつめられた光秀はついに行動を起こす。

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