テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、5日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第26話「信長を笑わせろ!」の視聴分析をまとめた。

  • 仲野太賀=『豊臣兄弟!』第26話より (C)NHK

    仲野太賀=『豊臣兄弟!』第26話より (C)NHK

ともが姿勢を崩しあさひを巻き込んで転倒

最も注目されたのは20時21分で、注目度71.5%。小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)が、羽柴家総出で信長(小栗旬)を歓待するシーンだ。

近江・桑実寺で三好康長(妹尾正文)を招き茶会を開いた信長は、茶会が終わった後に謎の集団に襲撃された。間一髪の所で織田信澄(緒形敦)が自らを盾として信長を守ったが、信澄は手傷を負ってしまう。信澄を気遣う信長は、うずくまる信澄に息絶える直前の弟・織田信勝(中沢元紀)を重ねた。

信長は信澄がその父である信勝同様、謀反を企んでいると疑いの目を向けたのだ。信長は直ちに信澄に蟄居を命じると、信澄の潔白を信じる小一郎や秀吉が信長を諌めたが、信長はまったく耳を貸さなかった。

そこで、秀吉は疑心暗鬼に陥った信長を救うために大博打に打って出るのであった。備中攻めで初陣を迎える養子・羽柴秀勝(柊木陽太)を励ましてほしいという名目で信長を長浜城へ招き、信長をもてなして機嫌が良くなったところで信澄に対する恩赦を乞うという作戦だ。最初は長浜行きを渋る信長だったが、小一郎が市(宮崎あおい)を味方につけて何とか承諾を取り付ける。

そして迎えた当日。信長は秀勝に励ましの言葉をかけると、用は済んだとばかりに早々と帰ろうとした。しかし、小一郎と秀吉の合図で控えていた羽柴家の家臣たちが現れ、次々とご馳走や酒が運び込まれる。強張った顔をしていた信長だが、市にうながされ膳に箸をつける。それは尾張・中村でとれた芋だった。「うまい」信長は懐かしい味に思わず声を漏らした。

「続きまして」「羽柴家、おなご衆の舞をば」「ご堪能くだされ!」場が盛り上がったところで小一郎と秀吉の声を合図に慶(吉岡里帆)が琴を奏で、寧々(浜辺美波)、なか(坂井真紀)、とも(宮澤エマ)、あさひ(倉沢杏菜)が舞を披露する。小一郎が信長の様子をうかがっていると、ともが姿勢を崩しあさひを巻き込んで倒れてしまった。

信長の前で失態をさらし、ともとあさひは必死で弁明する。「いいから、早く戻って。最初から」と声をかけた慶は、笑みは浮かべていたがその目は笑っていなかった。「えっ! またやるの?」驚く寧々に「寧々! 戻るんじゃ、早う!」と秀吉が急かすと、4人は渋々舞をやり直す。まったく不調法な余興となったが、信長の表情はなぜか次第にほころび始める。2度目の舞が無事に終わると、信長は口元にかすかな笑みを浮かべた。手応えを感じた小一郎と秀吉は、間髪入れずに次の催しを披露した。

  • 『豊臣兄弟!』第26話の毎分注視データ推移

    『豊臣兄弟!』第26話の毎分注視データ推移

「なかさんは信長さま相手にも動じないな」

このシーンは、羽柴家女性陣の一致団結ぶりに視聴者の注目が集まったと考えられる。

桑実寺で襲撃された信長は、小一郎や秀吉すら近づけようとしなくなっていた。そんな信長を憂いた秀吉は事態を打開するために信長を居城である長浜城に招きもてなそうと計画する。百姓上がりの小一郎と秀吉は、武家出身の慶の指導のもと、舞を習得しようと悪戦苦闘する。信長を笑わせることが目的なので、風雅なものよりは面白おかしい舞の方がふさわしいと小一郎は考える。信長と信澄の2人を救うため、小一郎と秀吉は家中総出で宴会の準備を進めた。

SNSでは「一族の長である秀吉のためとはいえ、みんな頑張ったな。ともさんやあさひちゃんなんて生きた心地しなかっただろうに」「鷹さんは名門の武家の娘だけあってやっぱり頼もしいな。女性陣のボスになってるわ」「なかさんは信長さま相手にも動じないな。すごいわ」と個性的な羽柴家の女性たちにコメントが集まった。

作中で、女性陣の舞の後に披露された猿回しだが、猿使いが猿を連れて各地を巡り芸を披露する伝統芸能。猿曳や猿飼とも呼ばれる。現在では大道芸のイメージが強いが、中世には新年を寿ぐ祝福芸・祈祷芸としての性格が強く、神仏への信仰とも深く結び付いた格式のあるコンテンツだった。石山寺縁起や融通念仏縁起絵巻には猿回しの姿が描かれており、鎌倉時代にはすでに広く親しまれていたことがうかがえる。

猿回しには特に馬を守護するという重要な役割があった。戦国時代には馬は武士の戦力として極めて重要な存在であるため、猿回したちは馬の病や災厄を払う霊力を持つ動物と信じられていた猿を連れて武家の馬屋を訪れ、芸を披露しながら馬の健康や安全を祈願した。また「猿」が災いが「去る」に通じることから、魔除けや招福の意味も兼ね備えていたそうだから、秀吉の「猿」という渾名は実は醜名ではなかったのかもしれない(※もっとも信長は秀吉を猿と呼んだことはないそうだが)。

また猿回しは武家だけでなく、町や村の人々にも親しまれていた。猿回したちは各地を巡業し、寺社の門前や市などで芸を披露したほか、正月には家々を訪れる門付芸としても活動した。その芸は新年に福を招くものとして歓迎され、人々は米や銭を与えてその労をねぎらったと伝えられている。