北村匠海が主演を務めるフジテレビ系ドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』(毎週月曜21:00~ ※FOD・TVerで見逃し配信)の第8話が、1日に放送された。
本作は、海辺の町で教師になるという“なんとなく”の動機で、とある田舎町の水産高校に赴任してきた新米教師が、同じく“なんとなく”日々をやり過ごしてきた生徒たちと出会い、高校自慢の「サバ缶」を宇宙食にするという夢に向かっていく、実話をもとにした青春学園ドラマ。
今回は正直なところ少し戸惑った。なぜなら、今作がこれまで意図的に“描いてこなかったこと”を、ついに描き始めたように見えたからだ。
ここまで積み上げた独自性を手放したのか
これまで何度も触れてきたが、本作最大の魅力は「サバ缶を宇宙へ!」という途方もない夢を、誰も笑わなかったことにある。通常のドラマであれば、まず夢を否定する者が現れる。そんなことできるわけがない!現実を見ろ!――そんなある意味ステレオタイプな非難を浴びせてでも、それでも主人公たちが立ち上がる。その衝突を描くからこそドラマになるのだ。
しかし今作は違った。誰も夢を笑わないし、バカにしない。それは学校の生徒たちはもちろん、小浜という地域全体の空気もそうだった。だからこそ、この作品には独特の“透明感”があった。視聴者にドラマなら当然描くだろうと思わせる疑念や衝突を脇へ置き、ただただ純粋に夢へ向かう人々を描いてきた。それが、今作ならではのオリジナリティになったのである。
ところが前回からの今回、その空気が徐々に変化してきた。宇宙日本食候補への選出によって注目を集める生徒たちの一方で、彼らを冷ややかに見る者たちがわかりやすく現れたのだ。
努力を見ていない人。夢に向かう時間を共有していない人。その熱量に触れたことのない人。だからテレビに取り上げられ、注目を集めるまでになると、その夢を「特別扱いされているもの」としてしか見られない。そんな人々の視線が、一気に表面化したのである。それは外部の人間だけではない。同じ夢をかなえようとしている実習の生徒たちの中にまで広がった。
その構図は、ある意味現実的ではある。だが同時に、今さらこのタイミングでこうした描写を持ち込む必要があったのだろうか、とも思えた。ここまで積み上げてきた本作の独自性を、自ら手放しているようにも見えたからだ。
しかし見進めていくうち、違う印象に変わっていった。
夢が長い年月を生き延びるために必要なもの
それは今回描きたかったこととは、夢をバカにする人の登場ではなく、夢が時間に“さらされること”だったのではないだろうか。
思えば、この物語の始まりは“勢い”であった。サバ缶を宇宙へ!――その響きはあまりにも大きく、あまりにもロマンに満ちている。だからこそ、その第一歩には、夢を疑うことすら野暮に思えるほどのエネルギーがあった。しかし、その夢は約10年という時間をかけて受け継がれてきた。世代が変わり、人が変わり、時代が変わる。そこには当然、さまざまな価値観が流れ込み、濁りも生まれる。夢を応援する人もいれば、理解できない人もいる。むしろ、それこそが現実なのだろう。
本作は今回、夢を否定する人を描くことで、夢そのものを否定したのではない。夢が長い年月を生き延びるためには、そうした現実とも向き合わなければならないことを描いたのである。そして興味深いのは、その夢を否定していた人々が、実際に夢に向かって懸命に努力する姿を目の当たりにすると、少しずつ態度を変えていったことだ。
人は夢そのものに感動するのではない。夢に向かう人の懸命さにこそ心を動かされるのである。だからこそ、その姿を見た瞬間、冷笑は応援へと変わる。夢には、人の心を動かし、“洗い流す”力があるのだ。そして今作を筆者はこれまで何度も、「心が洗われるドラマ」だと評してきた。今回の第8話は、その理由を改めて示してくれた回だったのではないだろうか。
物語はいよいよ最終局面へ向かう。宇宙日本食候補に“選ばれるまで”を描いてきた本作は、ここから“採用されるまで”という、より困難な時間へ足を踏み入れる。選ばれることはゴールではない。むしろ本当に難しいのはその先だ。
夢は願うだけではかなわない。時間にさらされ、人に揺さぶられ、それでも持ち続けて初めて現実へと近づいていく。今回描かれたのは、まさにその過程だったのではないだろうか。残り2話、その夢がどのような結末を迎えるのか見届けたい。





