北村匠海が主演を務めるフジテレビ系ドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』(毎週月曜21:00~ ※FOD・TVerで見逃し配信)の第5話が、11日に放送された。
本作は、海辺の町で教師になるという“なんとなく”の動機で、とある田舎町の水産高校に赴任してきた新米教師が、同じく“なんとなく”日々をやり過ごしてきた生徒たちと出会い、高校自慢の「サバ缶」を宇宙食にするという夢に向かっていく、実話をもとにした青春学園ドラマ。
第5話もまた、青春のまぶしさ、恋する甘酸っぱさ、純粋な思いの強さ、夢を追いかける尊さ――そんなさまざまな感情が交錯するエピソードに心が洗われ、なぜか涙までこぼれてしまうほど、物語に引き込まれた……のだが、ふと今回のエピソードを振り返ってみると、一体何が起き、どう解決され、そして何を描こうとしていたのか?それすらも曖昧になるほど、不思議な余韻を残す回であった。
廃校危機を“感情”で押し切る大胆さ
第5話の大きなトピックスは当然、これまで夢をつないできた土台である水産高校の“廃校問題”だろう。学園モノに限らず、そもそもの舞台となっている場所に、あえて“消滅の危機”を与えることでドラマを生み出す手法は定番と言える。ある意味で、私たちはもうその展開を“見慣れている”。
そして、かつてこうした“危機”は、危機にさらされた側の“感情”だけで乗り越えていくことが多かった。要するに、「守りたい!」という熱量に視聴者を共感させ、その勢いで突破していくのだ。日本全体に勢いがあった時代なら、そうした強行突破もすんなり受け入れられていただろう。しかし最近のドラマは違う。善悪を単純に分けるのではなく、双方の“事情”を丁寧に描く。廃校を進める側にも理由があり、その現実も描かなければ“リアル”とは認識されない時代になったのだ。
では今作はどうだったのか。今作の描写は前者――つまり、危機にさらされる側の“感情”で押し切ったのである。もちろん、水産高校の定員割れなど、廃校を進めようとする側の事情も断片的には触れられていた。だが物語は、どうすれば生徒数が増えるのか?という合理的な解決策よりも、そこで学ぶ生徒たちの思いや成果にスポットを当て、「“数”なんかに負けるものか!」という感情で、その場を突き進んでいった。
けれど、その描写を見て、私たちは“あり得ない”と感じただろうか。そうはならなかった、はずである。
先生であろうと保護者であろうと、学校に深く関わる人であろうとなかろうと、あの純粋で無垢な主張を、頭ごなしに否定することなど誰にもできなかったはずだ。むしろ、私たちはいつから、こんなにも配慮し、言いたいことを飲み込み、何に慮(おもんばか)り続けてきたのだろう?と、逆に問い返された気さえした。
無垢な思いが持つ強さと尊さ。その圧倒的な力を、改めて思い知らされたのである。
そしてそれは、ここまで積み上げてきた物語があったからこそ成立していた。第5話まで、 “サバ缶を宇宙へ!”という途方もない夢を、生徒たちはもちろん、大人たちも、地域の人々も、誰ひとり笑わなかった。疑いすらしなかった。だからこそ今回の“感情”は単なるきれいごとでは終わらず、不思議な説得力と感動を生み出していたのだ。
しかも、だ。今作は、その“廃校危機”を今回のエピソード内で大団円的に解決することはなかった。生徒たちは署名活動に奔走した。だが、肝心の説明会の場にはおらず、それをやり切ったラスト、「そういえば説明会はどうなったんだろう?」と、あっけらかんと言い放ったのである。
そうなのだ。今エピソードは、“廃校の危機”を提示しながら、その決着を描かなかったのである。
もう一つ加えるなら、今回の2期生の軸でもあった“三角関係”にも決着をつけなかった。むしろ、生徒たちの中に残ったのは、「やれることはやった」という感情だけ。そして、そのまま2期生は卒業していく。あまりにも潔く、驚くほどさらりと……。
“夢を見ること”そのものを追体験させる
本来なら、廃校の危機をみんなで救い、恋にも決着がつけられ、だからこそ夢を続けられ、「笑顔で卒業できた!」という形で、提示したドラマをきれいに完結させることもできたはずだ。だが今作は、その“然るべきストーリーライン”を選ばなかった。
その結果、中盤で描かれた熱い“感情”も、出来過ぎと感じなかったのかもしれない。物語が変に“正解”へ着地しなかったからこそ、あの感情は、生々しいままこちらに届いたのだ。
本作は、とことん“夢の尊さ”を描いている。夢を見ることがどれほど尊く、誰にも邪魔されるものではなく、そして夢を見つけること自体の難しさまで、丁寧に描いている。だからこそ、夢を失った大人たちも、あるいは夢を忘れかけた人たちも、理屈ではなく“感情”で動かされてしまうのだろう。「ああ、自分もこんな夢を見たかった…」そんな気持ちにさせられる。いや私たちは今、このドラマを通して“夢を見ること”そのものを追体験している。
そして、ただ夢を疑似体験させるだけでは終わらない。明日への活力や未来への希望を、そっと呼び起こしてくれる。本作自体が“尊い”ドラマだからである。








