今回は1577(天正5)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは雷鳴の響く中、信長に厳しく詰められる秀吉のシーンが挙げられる。前回、上杉謙信(工藤潤矢)の策を見破り、総大将・柴田勝家(山口馬木也)に撤退を進言した秀吉。しかし勝家はまったく耳を貸さず物別れに終わり、秀吉は独断で自身の軍を引き上げた。結果、手取川の戦いは織田軍の大敗に終わる。秀吉の撤退だけが原因ではなかったが、勝家を説得できなかったこと、何より命令を破ったことを信長に強く咎められる。
SNSでは「この信長さまに薄暗い部屋と雷鳴は怖すぎる」「相手の策を読み切った上で自分たちだけ撤退するのは、まぁそらブチ切れられるわな」と、秀吉と信長のやりとりにコメントが集まった。
手取川の戦いは、1577(天正5)年、加賀・手取川流域で起きた合戦。謙信率いる上杉軍が、勝家を総大将とする織田家の北陸方面軍を撃破した。兵力は上杉軍が約2~3万、織田軍が約4~5万とされている。戦いの直接の発端は、能登・七尾城を巡る攻防だった。能登畠山氏の内紛と幼い城主・春王丸の急死、重臣だった長続連らの専横により城内は混乱し、親上杉派の遊佐続光らが内応して七尾城は落城する。信長は救援のため北陸方面軍を派遣するが、七尾城陥落の報を知らぬまま手取川を越えて進軍。織田軍は増水した手取川で上杉軍の追撃を受け、戦死者・溺死者を多数出して大敗した。
羽柴家、一丸となって秀吉の助命を嘆願
次に小一郎の妻・慶(吉岡里帆)の提案で、一族郎党を挙げて秀吉の助命を嘆願する起請文を作成するシーンが挙げられる。秀吉の身を案じる寧々(浜辺美波)は居ても立っても居られずなか(坂井真紀)たちの制止を振り切って秀吉のもとへ向かおうとする。それをとどめたのが慶だった。家中でも浮いた存在の慶だったが、与一郎(高木波瑠)の件もありようやく打ち解けたようだ。
SNSでは「あれだけ長い血判状は効きそう」「あれだけの人数が集まるんだから、秀吉もこれまでの活躍で人望が集まってたんだね」と、羽柴家の結束に注目が集まった。
小一郎と秀吉、久秀に翻弄される
そして、説得に向かったものの老獪な久秀に終始翻弄される小一郎と秀吉の姿が挙げられる。久秀が信長を裏切ったのは、信長が大和を筒井順慶(永沼伊久也)に任せたのが原因だった。大和にこだわる久秀の真意を聞き出そうとする兄弟だったが、金銀財宝が眠っているからだとか、かつての主君・三好長慶に初めて任されたからだと、嘘か真実か分からない久秀の話に終始翻弄された。
SNSでは「兄弟に語った言葉のどこまでが嘘でどこまでが本当だったのかは松永本人にしか分からないけど、それでも長慶への忠誠心や本物になりたかったという願いは本当だったきがするな」「今回は兄弟がずっと信長と久秀の手の平の上で踊らされて2人の格の凄さが描写されたって感じた」と、戦国の梟雄・松永久秀に称賛の声が上がった。
作中では久秀は三好長慶を父だと思っていると話していたが、久秀は1508(永正5)年の生まれで長慶は1522(大永2)年に生まれている。久秀の方が14歳も年上だ。久秀が長慶に仕え始めたのが1534(天文3)年頃といわれているので、その時は久秀が26歳、長慶が12歳ということになる。長慶は久秀にとって父と思わせるほど大きな器量を持った人物だったのだろうか。
また本編終了後の紀行では、亡くなった久秀を弔ったのが筒井順慶と紹介されていた。久秀と順慶は大和の支配権をめぐって18年近く争った宿敵同士だった。久秀は順慶より約41歳年上で、1559(永禄2)年に久秀が大和へ侵攻し、筒井城を落としたことから因縁が始まった。また、久秀が埋葬されたといわれる達磨寺はかつて久秀によって焼かれたと伝わっている。敵であっても丁重に葬るということは順慶も久秀の力量を認めていたのかもしれない。
きょう31日に放送される第21話「風雲!竹田城」では、織田信長から播磨の攻略を命じられた秀吉と小一郎が荒木村重(トータス松本)の紹介で姫路城代・小寺官兵衛(倉悠貴)と出会う。そして小一郎は秀吉から但馬攻めの総大将を命じられる。


