北村匠海が主演を務めるフジテレビ系ドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』(毎週月曜21:00~ ※FOD・TVerで見逃し配信)の第3話が、27日に放送された。
本作は、海辺の町で教師になるという“なんとなく”の動機で、とある田舎町の水産高校に赴任してきた新米教師が、同じく“なんとなく”日々をやり過ごしてきた生徒たちと出会い、高校自慢の「サバ缶」を宇宙食にするという夢に向かっていく、実話をもとにした青春学園ドラマ。今回はいよいよ、その“サバ缶”が“宇宙へ行く”という夢へとつながった回であった。
ふとした一言がいつまでも心に残る教師
本作は“ドラマチック”が極めて少ない。
舞台はとある田舎町の水産高校、いわゆる“学園ドラマ”だ。そこから想像されるのは、教師の情熱によって生徒の悩みが解決され、現代の若者の葛藤や反抗が描かれ、やがて成長へと至る物語だろう。生徒が悩めば教師が導き、生徒はその熱意に応えて変わっていく。それが“学園ドラマ”の定番である。
しかし本作は、そのラインを絶妙に外してくる。主人公の朝野(北村)は決して熱血教師ではない。かといって無気力な教師という、わかりやすいアンチテーゼでもない。物語を大きく動かすほどの情熱を持っているわけでも、まったく持っていないわけでもない。いわゆる“主人公然”とした人物ではないのだ。
翻って生徒たちもまた同様だ。将来に悩み、葛藤し、ときにぶつかり合う。けれどそれらは、“ドラマチック”として強調されることはない。ぶつかり合い、理解し合う、そんな既視感のあるプロセスを丁寧になぞるのではなく、本作はそれを軽やかに飛び越えていく。迷いながらも、ぶつかりながらも、彼らは立ち止まらない。「やってみなきゃ、わからない」という今作のテーマを体現するかのように、すぐさま前を向き、突き進むのだ。
青春とは迷うことである。けれど同時に、ケンカしてもすぐに笑い合い、悩んでもあくる日には前を向ける――そんな“軽やかさ”もまた、青春のリアルではないだろうか。本作はその両方を、過剰に演出することなく、当たり前のものとして差し出してくる。
それは教師像にも通じる。常に熱血である必要はない。むしろ、ふとした一言がいつまでも心に残る。そんな存在もまた“本当の先生”なのかもしれない。
誰かが始めた夢が手渡されていく物語だからこそ
今回の第3話は、その“ドラマチックの不在”がより際立っていた。なぜなら、キャラクターだけでなく、ストーリーラインそのものにも大きな起伏がなかったからだ。通常であれば、HACCP(ハサップ)を取得したサバ缶をいかに宇宙食へと仕立てていくのか、その試行錯誤を描くのがセオリーだろう。安全性や加工方法といった課題に向き合い、ロジカルに乗り越えていく。“前回同様”の構造で描くこともできたはずだ。
けれど本作は、それを潔く手放した。なぜなら、ここで描くべきは“方法”ではないからだ。
描くべきは、「なぜ“サバ缶”を宇宙へ飛ばしたいのか」という理由…いや、理由ですらない、その“衝動”である。
ロジカルには説明できない、「サバ缶を宇宙へ!」というまっすぐな思い。その情熱だけを、何の装飾もなく差し出したのが、今回の第3話だった。
だからこそ、表面的には何も起きていないように見える。けれどその裏側で、確かに“夢”は動いている。俯瞰(ふかん)で見れば、何も進んでいないように映るかもしれない。だが物語は、必ずしも理屈で心を動かすものではない。この情熱は届く!そう信じて差し出された物語は、その役割を確かに果たし、理由もなく涙がにじむドラマへと昇華されていた。
そして、そんな情熱を抱いた彼らは、ここでまさかの卒業を迎える。ここでもまた、本作は“ドラマチック”を選ばない。大げさな別れも、過剰な演出もない。だがこの静かな幕引きこそが、本作の本質を雄弁に物語っている。本作が描いているのは、“夢の達成”ではない。
夢が“続いていく”ということ、そのものだ。
一人の人間が成し遂げるサクセスストーリーではなく、誰かが始めた夢が、別の誰かへと手渡されていく物語。だからこそ、その夢は特別なものではなくなる。彼らの夢は、どこかで私たちの夢ともつながっている…そう思えてしまうのだ。














