“NG大賞しかもらったことがなかった俳優”が、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞――。長い下積みを経て、日本を代表する名バイプレーヤーとなった佐藤二朗が、9日に放送されたNHK Eテレ『スイッチインタビュー』(毎週土曜21:30~)で役者人生の原点と現在地を語った。
佐藤の原点は、小学4年生の学芸会。自分がセリフを言うたびに保護者が大笑いしてくれたことから、「自分は俳優になる運命だと思った」と回顧する。しかしその一方で、「愛知の田舎から東京に出て、役者で食えるわけがない」という現実的な感覚も強く、信州大学へ進学。その後は2度就職も経験した。
28歳の時に劇団「自転車キンクリート」から声をかけられ、本格的に役者の道へ。役者だけで生活できるようになったのは31歳から32歳頃だったという。
「この数カ月、バイトしないで役者だけで食えてるぞって思って。それで妻に『ご両親に挨拶に行こう』って言ってプロポーズした」と振り返り、「いまだにバイトしないで芝居だけで生活できてるのが、56歳になってもまだうれしい」と噛み締めるように語った。
さらに、自身が原作を手掛けた映画『名無し』や、監督・脚本・原作を務めた『はるヲうるひと』にも言及。過酷で残酷な物語を描く理由について、「筆舌に尽くしがたい状況に置かれた人間がどんなことになるんだろう、何を言うんだろうっていうのに興味がある」と打ち明ける。
その一方で、理不尽があふれる世の中だからこそ、「負を抱えた人間がちょっとしたきっかけで“明日も生きてみよう”って5ミリでもいいから思える話を書きたい」とも告白。「きれい事を言うことを恐れない気持ちもある」と自身の創作への思いを明かした。
番組終盤では今後についても語り、「芝居をする機会にずっと恵まれていたい」とコメント。さらに「書くっていう欲求があるうちは脚本を書く行為も続けていきたい。自分で書きたいものがあるうちは、自分で当て書きして、自分のやりたいものをやれたら良いな~と」と笑顔を見せた。
また、「俺みたいな冴えない風貌の中年のおっさんが真ん中あたりに行くっていうのは、日本の映画界やエンタメ界にとっても悪いことじゃないという思いはちょっと前からある」と語る場面も。随所で遅咲きの名優・佐藤らしい言葉が詰まっていた。
【編集部MEMO】
佐藤二朗は、現在放送中のフジテレビ系ドラマ『夫婦別姓刑事』への出演にあたり、「30代、40代の頃、僕はもう山のように連続ドラマに出てて、その時はトレンディードラマというブームはとうに過ぎ去り、ドラマを作れば高視聴率っていう時代も終わってました。それでも当時のテレビマンたちは、限られた制約の中でスタッフ・キャスト一生懸命に少しでも良い作品を作るために頑張ってました。僕はあの時期が宝であり誇りです。なので、今回初めて民放ゴールデンの連続ドラマの主演をやりますけども、あの頃のテレビマンたちの恩返しであると同時に、おそらく昔と同じように今ももがき苦しみ、試行錯誤をして少しでも良い作品を作ろうとしているテレビマンたちと一緒に、少しでも良い作品をお届けしたいと思います」と熱い思いを語っている。
