2011年3月11日、白洲と戸塚は18歳、三浦は25歳の青年だった。あの瞬間、それぞれどのように過ごしていたのか。
高校3年生の白洲は、東京で卒業式の予行中。体育館には学年全員の生徒が集まっていた。
「感じたことのないような揺れで、パニックになる子もいました。先生が前で“落ち着いて”と大きな声で言っていた記憶が、今もすごく残っています」
俳優の仕事をスタートしていた三浦は、新宿の自宅マンションにいた。12階に住んでいたため揺れも大きく、エレベータが止まったため、同居する友人とともに階段で地上へ避難した。
「マンションの前がガラス屋さんで、見に行ったらガラスが全部割れていて。近くの居酒屋さんの店主も外に出てきて、“食器が全部割れた”と言っていて、ただ事じゃないなと思いました」
その後、テレビで見た津波の映像に強い衝撃を受けた。
「震源地が東京じゃないと分かって、テレビをつけたら津波の映像が流れていて、本当に言葉が出なかったです。自分の仕事がどうなるのか、仕事をしている場合なのか、こんな時に何ができるのか、いろんな感情が渦巻いていました」
誰も乗っていない車の異様な光景…戸塚純貴の震災体験
そして戸塚は、岩手の自宅で昼寝していたところ、大きな揺れで起こされた。最初はすぐ収まるだろうと考えやり過ごそうとしたが、外に目をやると周囲の人たちが避難しており、「逃げなきゃいけないんだ」と寝ぼけ眼ながら危機感が襲ってきたという。
被災県の岩手では、そこから生活が激変した。
「電気が何カ月も止まっていて、3月だから寒いんです。車社会なので、みんな車で暖を取って過ごしていました。そのためにガソリンを入れようとスタンドに行く車がずらっと並んでるんだけど、全然動かないから、みんな車を置いて家に帰っているんです。誰も乗っていない車列ができている光景は、すごく異様でした」
当時、高校卒業後に上京して芸能界の仕事に進むことが決まっていたが、あまり乗り気ではなかったという戸塚。しかし、この非常時の体験が、人生観にも変化を与えた。
「信号もついてないし、コンビニやスーパーにも商品が何も置いてなくて、食料が来たら取り合いになって暴動が起きるんじゃないかとか、先が見えなくなって、初めて死を身近に感じたんです。そんな時、自分がやろうとしてこなかったことに飛び込むべきなんじゃないかと思うようになりました」
岩手で震災の影響を大きく受けた経験が今回の役につながる部分があったのかを聞くと、戸塚は「別世界ですね」と即答。同じ東北にいたとはいえ、津波の被害を受けた沿岸部や原発事故に直面した人々の苦しみは、「自分の経験とつながるという気持ちはありませんでした」と語った。


