3人はそれぞれ、自身が演じる役のモデルとなった人物と対面。想像を超えた壮絶な当時の現実に触れた。

白洲は「発災直後、ケガ人が一気に押し寄せて、命の取捨選択をしなければいけない局面もあったと聞きました。言葉で聞いても、にわかには理解できないような出来事ばかりで、本当にあったことなのか信じられないほどでした」と受け止めた。

戸塚は「“死ぬ覚悟で現場に向かう”という姿勢や気持ちを聞いて、ご家族がいる中で、それでも責務を果たすために向かう。その姿に、自衛官としての誇りを感じました」というのと同時に、「その思いを体現できるのかという不安な気持ちにもなりました」と打ち明ける。

大学時代にライフセービングとして人命救助に携わっていた経験から、震災当時「現地に行って何かしたいのにできない」もどかしさを抱えていたという三浦は「今回、現地で闘っていた人たちの話を聞けて、当時の自分の気持ちが少し消化できた感覚はありました」という。

そんな三浦が話を聞いて印象に残るのは、「3.11をきっかけに自衛官になった方が結構いらっしゃると聞いて、しかもそれが自分と年齢の近い人たちだったんです」ということ。このことからも、「この出来事の大きさを改めて感じました。なので大倉本人だけではなく、そういう人たちの思いも背負って演じなければいけないと思いました」と決意したそうだ。

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20kgの鉛ベストで未知の危険へ「普段の芝居とはまったく違う」

他の作品と比べて、精神的にハードな撮影だったはずだが、白洲は「僕はあくまで役者として演じているに過ぎず、“過酷だった”、“つらかった”なんて、口が避けても言えません」と強調。「ただ、病院に押し寄せるケガ人、寝ずに続く対応、そして自分たちも被災者であるという状況…。その温度感に触れた時間は、役者としても個人として非常につらくもあり、重要な経験でした」と語る。

肉体面でもハードな経験をしたのは、三浦と戸塚。重さ20kgという、放射線から体を守る鉛のベストを装着しての撮影は「実際につけたら本当に重かったです。マスクも含めて全部つけた状態で現場に向かう。その場に立っているだけでもかなり大変でした」(三浦)といい、その身体的負荷を背負って未知の危険がある場所へ向かう人々の心境を想像すると、「普段の芝居とはまったく違う感覚でした。つらいとも違う、言葉にならない気持ちでした」と振り返る。

戸塚も「着けているだけで本当に苦しいんです。マスクもあって呼吸もしづらいし、視界も狭い。体も自由に動かせないんです」と回想。ただ、「その状態で撮影できたことで、リアルに伝わればいいなと思いました。実際のヘリコプターや設備を使った撮影もさせていただいたので、協力してくださった自衛隊の方々に感謝を伝えたいです」と心境を述べた。