2番目に注目されたのは20時33分で、注目度80.8%。滝沢瑣吉(津田健次郎)が耕書堂にあいさつに来るシーンだ。
「仲を取り持つつもりが、怒らせてしまったようで…」耕書堂の入り口で鶴屋喜右衛門が先日の吉原での出来事を蔦重に報告していた。紋付き袴姿の蔦重は「持ってってくれただけでありがた山でさ。けどあいつ、紙花まいてくれたんですね」と満足そうである。
2人のやり取りをてい(橋本愛)は奥から見守っている。すると「おい、蔦重!」と、紋付き袴姿の瑣吉が勢いよく現れた。喜右衛門が瑣吉の髷の変化を訪ねる。「会田という町人に泣きつかれて入婿することになったのだ。ははは!」北尾政演(古河雄大)が持ってきた縁談が無事にまとまったのだ。
「義理とはいえ、息子が侍髷では親もやりにくかろうと親孝行というわけだ」と、髷を変えた理由を説明する瑣吉は幸せそうに見えた。「これからは世継稲荷の近くの伊勢屋という履物屋におるがゆえ。頼み事があればそこにな!」と言い残すと、蔦重とともに耕書堂をあとにする。喜右衛門も帰ると一人となったていは、ふと戸口に見慣れぬものを見つけた。それは蔦重の将来に大きな意味を持つことになる、大きな風呂敷包みだった。
「明るい話題があってほっとした」
このシーンは、KY全開ながらなぜか憎めない瑣吉に、視聴者の注目が集まったと考えられる。
手代として迎えられた当初からみの吉(中川翼)を悩ませ、ノンデリな発言で周りをひっかきまわしていた瑣吉。しかし、つよ(高岡早紀)の死去とていの死産と、悲劇が続いた耕書堂を盛り立てようと写経を皆にうながし、さらに弔いのための黄表紙を執筆する。空気が読めないところはあるが、瑣吉なりに耕書堂のことを考えていたのだ。
そんな瑣吉に思いもかけず縁談の話が持ち上がる。政演の協力と蔦重たちの後押しもあり、瑣吉は無事に婿入りすることが決まった。SNSでは「本当に最近暗い話ばかりだったから、明るい話題があってほっとした」「おていさんの食い気味な『引き取ってくださる先があるのですか!』には笑ったな」「今回は瑣吉のキャラに救われたな」「みの吉くん、意外と瑣吉のこと考えてたんだな」と、瑣吉を祝福(?)する投稿が集まった。
作中では政演が瑣吉の縁談を持ち込んだが、史実では1793(寛政5)年には瑣吉はすでに耕書堂から去っており、山田屋半右衛門という人物のもとに身を寄せていた。その山田家夫妻の紹介で履物商の伊勢屋を営む会田家の未亡人だった百と出会っている。ちなみに百は瑣吉の3歳年上。結婚した2人の間には1男4女が生まれたが、長男・宗伯以外は早世したとされる。
また、瑣吉は履物商には打ち込まず、結婚した頃に加藤千蔭(中山秀征)に師事し書を学んでいる。このシーンでは、喜右衛門が瑣吉の髷について話していたが、江戸時代の髷は武士は格式を、町人は実用や流行を重視していた。武士の髷は本来、兜をかぶるための実用性から発したもので、月代を広く取り、髷を小さく端正にまとめるのが特徴。髷を奇抜にしたり大きくしたりすることはせず、常に均整のとれた形が求められた。
一方で町人は職業や店格によって髷の形に大きな差があり、月代の取り方もまちまちだった。武士に比べて髷の自由度が高く、町人髷をはじめ、銀杏髷・奴髷など多様な髷のスタイルが生まれ流行や個性を映す存在となっていた。