第6話にはもう一つ、見どころがある。物語と直接の関係はないが、あのトニー安藤(市原隼人)の、「無防備でかわいらしい寝顔」だ。主人公として物語をけん引する役割をさすがの演技力で担っている菅田、他の登場人物を食うほどの存在感を放つ二階堂、癒やしを担い、実力を小出しにしながら物語を控えめに盛り上げる浜辺も素晴らしいが、実はこのトニーが『もしがく』の“裏のヒロイン”と感じてしまうのはおかしいだろうか。

隠しきれない男の色気、画面にいるだけでそこだけ別空間を演出し、物語に違う色を与える腰の据わった立ち姿。これに、思ったより素直な性格、当初セリフを子猫より心もとない声でしか発せなかった強面とのギャップ。そして今回は無防備な寝顔と、たくさんの市原隼人がありったけに詰め込まれている。

市原には「男気」「兄貴」的なイメージを持つ人は少なくないだろうが、実は、実際に市原と話すとそのイメージ通りであることに筆者は驚いた。テレビやスクリーンでの市原隼人が、そのままの存在感と空気・雰囲気で、“現実”を伴って目の前でいろいろ熱く語ってくれたのだ。

その市原へインタビューした際、いくつもの印象的な言葉があった。例えば、「何かを思いつくことは“狂気”を見ることと似ている」。市原は人間の中には多くの“欲”があり、誰もがその20%ぐらいしか外に出していないのではないかと話した。「皆、“欲”を隠していないか。本当は“狂気”に満ちているのではないか」──。これまで数々の作品で、さまざまな“欲”や“狂気”を芝居で疑似体験したからこそ出た言葉なのだろう。

そしてこうも言った。「隠していないか。自分の中の正義も悪も。もっとそんな自分を主張してもいいのではないか。しかし人はそれを隠し生きている。だから自身が何かこれだと思いつくのは、自分に隠されていた“狂気”と向き合ったからなのかもしれない」

出演する作品の作品論や役者論を超えて飛び出す「人間の本質」。彼自身がその役としての人間の「本質」を見つめているからこそ、“虚構”の人物を演じてもなお、生の人間臭さが芝居から漂うのではないかと筆者は思った。『もしがく』のトニーも例に漏れない。ゆえに「カッコいいのにかわいらしい」。それが創られたものではないからこそ、『もしがく』関連の記事やSNSで、トニー安藤が多く取り上げられるのだろうと思う。

市原は言った。「そのためにも、もっとさまざまな“欲”について学びたい」と。これらは文学や映画で多く描かれているが、普段の人間関係からでも十分に感じ取れる。実際、筆者も市原と目を合わせて質問をしながら、観察されているのは自分の方ではないか、すべて僕の心は見透かされているのではないかといった想いが何度もよぎり、おためごかしな褒め言葉など簡単に口には出せない、この人にはウソがつけない、と感じさせられた。

彼の「人間の本質」を突くからこそ生み出される「人間臭さ」。これが『もしがく』で今後、どのような形で見られるのか。トニーの悪も正義も、強さも弱さも、そして欲も狂気もかわいさも、何が飛び出してくるのか楽しみで仕方がない。

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